なんとなくこの記事の続きっぽいお話。
え~っらいまた前の記事引っ張り出して来たね~という感じですが、大事なこと書いてあるのでお暇な時にでもご覧下さいね。
さて。
上の記事は算命学に辿り着く人の話でした。
算命学を有効に活かせる人というのは
現実的な解決法を全部やれるだけ全力でやり尽くしました。
でもさっぱり状況が改善する気配がない。
もしくは
現実的な解決法を全部やれるだけ全力でやり尽くしました。
しかしなんかこう・・・パシッとこれだ!というスッキリ感がない。
何かもっとよく分からない部分に解があるのかも知れない。
という人なのですよね。ちゃんと思いつく限りやれることはやった人。
ということはその人が人生でいつか算命学に辿り着くとしても、辿り着く適切な時期というのがある。
私は今算命学にドはまりしていますし、算命学のない生活なんてどうやってやるんだっけ?くらい思い出せない感じですが、じゃあそういう私がたとえば20代で算命学を勧められていたとしても
はあ?
そんな占いとかよく分からんもんに頼っとる場合か~!
人生体当たりで全力出してやれるところまでやって切り開き、自分の力で幸福を掴み取るものだろうが?!
と思ったでしょうし、まさにそれでヨシ!と今でも思います。
もちろん人によって様々な背景・状況がありますし、年齢いくつだとOK、いくつはダメとかそういう話ではありません。
ただ算命学に頼る時ではないな、という時期は必ずある。
何故こんな話をしているかというと、随分前に来て下さったお客様を思い出したからです。
大変若い男性でした。
お話を伺ってみると
母親がお金払い込んで鑑定受けて来いって言うから来た
とのこと(笑
でも本当にただそれだけでいらしたので算命学に全然興味はないし、必要ともしていないし、当然信用もしていないのでそもそもそんなもんやっててどうすんの?みたいな態度が見え見えでした。
もちろんこちらはいつも通り手抜きせず全力で鑑定してお伝えするわけですが、もう最初から
これ私の言葉、この人に全然入ってないな
というのが丸見えでね(笑笑
いや、いいんですよ!そりゃあ私が20代のメラメラに燃えていた頃、親に勝手に鑑定に申し込まれて送り込まれていればこうなってただろうよ、と想像がつきますから。
人生最初は自分がどうしたいのか自分の気持ちや直感に素直に、自問自答して自分で道を選んでいく方がめちゃくちゃ大事です。正解なんかよりも大事。算命学でもその時期は大切だと見ます。宿命に合わない生き方をすることですったもんだして、どうもこれじゃないな、この生き方は自分らしくないと実体験から気付いたり路線変更したり。不器用でいいのです。若い内はそれがとても大切です。
これが正しいですよ・あれが正しいですよという周りの言葉ばかりに気を取られて進んでしまうと、自分は本当は何をしたいのかずっと見えないままになってしまう。自分が本当に求めるものが最初から分かっている人もいるけれど、分からない場合は人生かけて模索するだけの価値はあるものです。
正解だけを追い求め、実際 “ いわゆる正解 ” に近いそれらしい人生を実現できてはいるけれど、本当は自分が何を好きで何を求めているかも分からない。だからそこそこ傍から見て全部揃っているにもかかわらず幸せの実感はイマイチ・・・で終わるのはちょっと勿体ないよね。
もちろん私のところにはいつ鑑定に来ていただいても私は大歓迎です。
が、同じ鑑定を受けても自分の中にストンと入る時期とウォータープルーフ素材が水を弾くように全然入らない時期がありますよ、自分の中に入って来ない時は『 あなたにはまだ算命学に頼る以前にできることがありますよ 』という時期でもありますよというお話でした。
これもフランスのオンフルール(Honfleur)にあるウジェーヌ・ブダン美術館でつい最近見た作品。こう小さいと分かりにくいですが、実物は横が2m弱あってとても大きく、見ていてすっごく気持ちのいい作品でした。絵画にも “ 気 ” があって、絵画がエネルギーを放出するってあるんだなあ~!と感心したものです。
これも欲しかったな~(そして私が欲しい作品に限ってポスターがない・笑)
本日もお読みいただきありがとうございました。
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