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『いつも無償で』はニセモノ

 

皆さんこんにちは。

暦の上では本日から5月がスタートしますね!

今日も鑑定でエネルギーを出し切りすぎて( いつものことです )、子供の世話を一通り済ませた後昼寝したのですが

寝ている最中子供たちが何か聞いて来て返事しようと思っても出来ない!動けないし声が出せない。

起きた時には大真面目に

私、今本当に生死の境を彷徨って生還したんじゃない?

と思うほど、死体のように休みました。

そのおかげか、ここしばらくの不調からようやく抜けた!という感じで今元気に記事を書いています。

 


 

 

ところでこの仕事を始めてはっきり分かったことがある。

無料でします!

というのはやはりニセモノだ。

算命学でそんな愚かなことをしている人はいないと思うが、何かを本気でやろうと思う時

ずっと無償でやるというのは無理なのだ。自然の摂理に反する。

これについて算命学に携わる人は、算命学が陰陽論をベースとしているので分かりやすいと思うし

実際無償で鑑定してはいけないと言われる。

つまりこういうことだ。

陰陽論は、万物はある一極を頂点とし陰と陽の二面に分かれバランスが常に保たれていると考える。

陰陽の2つがあって初めてその極は成立する。

1年には暑い時期と寒い時期があり循環する。

人間には男と女が存在する。

音楽には長調と短調があり、呼吸には吸うと吐くがある。

どちらかだけではバランスが取れずあっという間に駄目になる。

 

算命学だろうが四柱推命や霊感なんちゃらだろうが、そこには出力が伴う。

まともに取り組んでいる人ほど、その出力は大変なものになる。

それをずっと無償でするというのは、呼吸をひたすら吐き続けます、頑張ります!とやっているようなもので

自分の世界のエネルギーバランスがあっという間に崩れる。

実際本物の霊能者で、能力のある弟子がずっとそれまで無償で奉仕活動をしてきたことを聞いて

そんなことを続けていては死にますよ

と大真面目に一喝なさったという話を見たことがある。

私は算命学の鑑定をしているのであり霊能力とは無関係だけれど、本当にその通りだと身に沁みて良く分かる。

算命学で無償鑑定は駄目と言われるのは何もケチであるとか、鑑定の価格帯が崩れるからといったビジネスによくある表面的理由からではなく

陰陽のバランスという宇宙の理に重きを置き、それはどの国だろうがどの人種だろうが関係なく

全ての人に有効な万物普遍の宇宙の法則であることをよく分かっているからに他ならない。

 

なので要はバランスが取れていればいい。

例えば一発屋的にごく稀に( 数年に1回とか )思いついた時だけ無料鑑定しますとか

日頃のご愛顧に感謝を込めて、イベントとして1年に1人だけくじ引きで公開無料鑑定しますとか

実は実力をかってくれ金銭的にガッツリ援助してくれているパトロンがいるのでエネルギーの流入はもう一杯

だからバランスを取るために鑑定は皆さんに無料でしてるのです

みたいな場合は、自分の世界のエネルギーバランスは大きく崩れないので大丈夫でしょう。

同じ視点で逆に1度の鑑定や霊視で何十万円も取るような人も、そこでエネルギーの収支が合っていればいいけれど

大抵はそうではない、流入の方が遥かに大きくなって長い目で見るとマズイことになる。

そして人間はどう頑張っても一人で生きているわけではないので、バランスが崩れると自分一人だけでなく身近な人たち

つまり配偶者や子供にその歪みの影響が出る。

無償でし続けて徳を積んでいる気分になっていても、それは例えば夫のエネルギーを何食わぬ顔で分捕って

ただ外に回しているだけでしかないこともある。

出力に見合わない大きすぎる対価を受け取り続け、仮に自分の人生無事に逃げ切れましたという場合

今度は孫やその先の子孫に影響が出たりするのでやはり気を付けた方がいい。

 

見えない世界のエネルギーを本当に把握できる人は( これも霊視の一つだと思うが )

そういうエネルギーの収支バランスみたいな基本の基本は体感として掴んでいなければおかしい。

それを分かっていない時点で、霊視だなんだも口から出まかせの嘘っぱちなのである。

もちろん何の能力も知識も技術もなく

どうせ目に見えない世界の話だからバレないバレない♪

と口から出まかせを述べるだけならエネルギー消費なんてない。そりゃあ何か月も何年も無償で出来てしまう。

それはただの『 徳積みごっこ 』にすぎないから。

出力と入力のバランスが取れているので平気だろう。

 

しかし本当に自分にも社会にも意味のあることをしているのであれば、それが一発屋で終わってしまっては残念だ。

というより一瞬で終わってはいけない。

その時だけ人助けをするよりも、出力に見合った対価を得て末永くその意味ある活動を続ける方が

長い目で見てでっかく世のため人のためになり、それこそが本当の意味で徳を積むことなのだと思う。

だからこそいいビジネスというのは、それ自体が徳を積む行為だと私は思っている。

 

 

Vladimir Makovsky Fans of Nightingales, 1873 

ナイチンゲールさんは本物だよなあ♪と盛り上がるおじ様たちによるナイチンゲールファンの集い

 

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