~ 長文警報発動中 ~
ああ楽しい。毎日楽しい!
学ぶって楽しいよね。それも
まさにー!これがっ!これこそが!私の!知りたかったことっ!!
みたいなのを吸収できるってホント幸せ。そういう自分にドンピシャの何か、そしてそのドンピシャを期待以上のレベルで学べる環境は決して多くはないけれど、それにぶち当たった時の嬉しい衝撃よ。
さて。
神は人間に対してそれぞれの役割を与えていますが、それは絶対的に固定しているわけではなく、常に浮動的なものです。(原典)
算命学でいう神というのは信仰の対象である神ではなく宇宙の真理なのですが、まあ分かりにくかったら “地球も含む宇宙丸ごと” くらいに考えて貰えるといいです。
例えばあなたは生まれてくる時に伝達能力を神からもらって生まれてきたとします。
その時神はというと
はいこれあげます、さようなら。
という感じです。
これあげたんだから〇〇や▽△に使ってくれなきゃヤだ!
みたいなことは一切ありません。
そこから先は私の管轄違いますんで、どうぞ煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。
後は野となれ山となれ。
ほなさいなら。
と完全にあなたの自由裁量に委ねられます。
え、投げっぱなし?
定期メンテナンスとかないんすか?
それは
キラーン
神が助けの手を差し出すのは人間の行為の在り方を見た後のことで、人間がある心の次元の領域に達すると神は無限の力を以て人間個人に味方をするものであります。
生まれる時に預かり頂いた伝達能力、どっちの方向で、どんな手段で、どれくらい使う?というのを決めるのは 心。ここです、人間の完全な自由裁量。
その人間の 心 というものは人間自身のもので神が支配するものではなく、神が助けてくれるものでもありません。放ったらかし。
しかしその心がある次元にまで上昇すると神と繋がることができ、大自然の真理を知らせて貰えるようになっている。
早い話が
本能を与えたのは神
心は各個人の責任において形成しなければならない
で、どうやってこの心の次元を上げていくの?ですが端的に言うと
ぐだぐだ言うとらんと ええから使い倒せ。
になります。
とにかく持って生まれた才能(陽占に表出する五本能、十大主星)を繰り返し繰り返し使いこんでいくことで次元が上がっていく。
その次元を上げていくことこそが人間の責任。
その過程で命を燃やし続けることこそが生きるということ。
言ってることすごく分かる気がしませんか?
その才能を使うというのは私なりの表現をすると
極めてこの世的な利用の仕方をする
になります。
また楽器の話になってしまうのですが、楽器ってとにかくひたすら練習を積み重ねる。
この練習の積み重ねこそ極めてこの世的な利用の仕方。
だってあの世であれば思い浮かべた瞬間すべて実現、思い=即結果なので練習も何も要らないわけです。
その際に伝達・表現力だけでなく忍耐力、継続力、体力、集中力、自分のスタイルの構築、自律心、機転・・など自分の持つものを総動員してことに当たる。
そうして練習を積み重ねていくとある時
あれ?これ誰が弾いてるんだ?
私が弾いてるのに明らかに私じゃない何かが弾いてるぞ??
みたいな瞬間が来ます。
これが上にある
人間がある心の次元の領域に達すると神は無限の力を以て人間個人に味方をするものであります。
なのであり、これを1度経験すると同じことが起こっている人が分かるようになるものです。
例えば最近も載せたこれなんか、明らかにこの舞台に神様が下りてきてる。
猫に木天蓼(またたび)、私にこの音楽、状態でこればかり聴いている毎日
で、私は勘が鋭い命式の人にはよく
直感を無視せず、その感覚を大事にしてくださいね
とお伝えします。
けれどもそれが意味するところは 勘にだけ頼ればいいよ というわけではもちろんありません。
それだとただのいい加減な博打人生になってしまう。
そうじゃなくて、持って生まれた才能は総動員してそれらを日々可能な限り使い倒す。自由自在に思いのまま操れるよう研鑽を積む努力は怠ってはいけないし、それに向けての現実的な行動は絶対に必須。
その上で現実面だけでなく、頭で考えるだけでもなく、そこに鋭い直感力を乗せて行けばその精度は爆上がりになりますよ
ということなのです。
やることやらずにただ『勘だけで』だと、人生全て当てずっぽうになっちゃいますのでね。そんなことは算命学では推奨されていません。
算命学って処世術として使う時、それはどこまでいっても
持って生まれた才能を如何に意識して使いながら命を燃やすか
なのです。
そして使えば使うほど次元が上がる。次元は上がるほど楽しいし充実感が増す。
私がこの年でも学び続け、記事を書き続け、算命学で鑑定し伝え、運動し、子供や夫を大事にし、あちこち動き回り、スポーツもし・・・というのは全て、命式に忠実に現実世界で命を燃やすということに他ならないのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
いくつになっても学びとは本当に心潤う娯楽である。
Rembrandt’s Mother Reading 1629
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