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『全体』ではなく『個』に向かう意識(2)

 

この記事↓の続きです:

 

『全体』ではなく『個』に向かう意識(1)
という記事が面白かったのですが、その中で一番私の中に残った言葉は以下のもの: 他人の経験や本などから学習できる人って少数派で、自分の経験からしか判断しない人はやっぱり多いと思います。 そういう意味では 「...

 

性差別の問題や人種差別など社会問題はたくさんあり

これはそのままであるより是正されていく方がいいよね。

さて、ではそれに対して自分はどうなのかと考えた時

人種差別反対!と書かれた旗を持ってデモ行進をするとか、ビラを撒くとか

会合を開いて議論の場を設けるとか

大衆の前で演説して広く浅く説得し大きくまとめて動かそう

とは、私はならないのです。

意識が全くそちらに行かないんだよね。

それは私の役割ではないとハッキリ分かる と言った方がいいかも。

“ 集団の力を使って社会に働きかけて大きな枠ごと動かそう ”

という方には意識が行かず

私の場合は意識が必ず “ 個 ” に向かうからです。

この人が殊更に女性を下に見て、男性に下駄を履かせる社会を良しとするのは何故なのか?

具体的にこの人個人のどういう背景、経験から来たものなのか?

そこまで異人種を毛嫌いする、その本当のところと背景は一体何なのか?

に意識が向くからです。

フェミニズムや男尊女卑や、人種差別など、そういう表面のレッテルを全部一枚一枚剥がして残る、その人個人の心の内側、私的な部分はどうなっているんだ?と。

生まれながらに人種差別者であったり、女性を ( もしくは男性を ) 見下す人はいません。

まっさらのストレートな状態から、その捻じれた思考癖がつくには

何か捻じれて苦しい、不自然で辛い経験がないとそうはならない。

そこがものすごく気になるわけです。

各人の心の奥底の大事な部分、最も繊細で柔らかい部分に

外に表れて来る男尊女卑なり、人種差別なり、色々な思考の癖の種がある。

その種を見ずに、上から力業で

ダメだっつってんだからダメなんだよ!

と押さえつけたところで、一時的な効果はあれどまたその種が芽吹いてくるからです。

もちろん全体に広く浅く全体に働きかける役割の人も、個に働きかける役割の人も両方必要です。

私のポジションは前者ではないという話。

この

“ 全体 ” に意識が向かうのか “ 個 ” に意識が向かうのか

これも実は算命学で分かります。

私は “ 個 ” に意識が向かい、 “ 個 ” に深く切り込んで、 “ 個 ” に向けて伝えようとするタイプであり、それが社会における私の役目。

そして算命学というのはまさに “ 個 ” の内側の、核心部分に迫るのに実に有効なツールなのです。

なので自分の世界の背景同士が異なり過ぎてなかなか話が通じ辛くても、算命学は個人の重要な核心部分に切り込める素晴らしいツールなので私にぴったりだなとも思うのです。

ひろゆきさん、どうして 「 今の日本では “ フェミニズム ” って言葉を使わないほうがいい 」 のですか?

連載 「 #私たちのフェミニズム 」 をみんなで語ろう。

第1回:西村博之 ( ひろゆき ) さん

でも件のひろゆき氏の記事に対するツイッター上の反応を見ていると、また別のことに色々気付いたので、気が向いたら書こうかな。

Portrait of Mary Frances of Liechtenstein at the age of two , by Friedrich von Amerling 1836.Vienna

これくらいの時はまだ心の中は真っ白、まっさら

 

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