少し前に
マーラーの交響曲1番『巨人』を聴きたい!アムステルダムのコンセルトヘボウであるけどどうしよう
などと迷っており

結局行くのをやめました。
でもやっぱりマーラー聴きたいよなあ
などと思っていましたらなんと!
今年11月にフランクフルトで、つい先の年末第九を聴いて最高の1時間を過ごすことになったWiener Symphonikerが来まして

マーラーの1番を演奏すると!!
最高やん…最高や(涙
これは絶対に行かなければ。
もう昨日から嬉しくてテンション上がりっぱなしです。
ああ嬉しいな♪
年下に学ぶなんてプライドが許さない!
みたいなしょーもない(失礼!)プライドを持つ人っています。
ぎゃーん!
いや別に持っていてもいいのですよ、ご自由にどうぞです。
でも勿体ないですよね、せっかく自分の能力を伸ばすチャンスであるのなら。
しかし自分が分からない、苦手とすることをよく分かっている、得意とする年下の人や新しく仲間に加わる人(新入社員や中途採用など)に教えてもらうといったことに私はもともと抵抗が全くありません。年齢の上下やその輪の中に入ったのが早いのか遅いのかみたいなことはすごくどうでもよくて、大事なのは中身だろ?実力だろ?と。
逆に年齢が上とかその業界が長いのに中身が残念な人から教わるというのはとんでもない時間の無駄なので、ああ耐えられないわ~という気持ちがあからさまに顔に出たり、黙ってさっさと離れたりします。
何故そんなことを書いているかというと、以前にそんな場面に出くわしたことを思い出したからです。
いや、その年下の人も誤解を招くような言動を取っていたので周りの理解を得られなかったというのもあります。が、周りでキレていた人たちに薄っすら共通して見られたのがまさに
自分としたことがこんな若造に・・
というプライドだったのです。
ここで私にプラスに働いたのがやはり算命学でした。
おそらく皆と同じように表象的な面のみで判断していたなら、私も不満がなかったとは言えない状況だったので、さっさと離れて行っていてもおかしくはなかった。
Invisible world, 1954 Rene Magritte
けれどもその人の命式を見ると
私にないものをその人は大いに持っている
そして私はその人から大いに吸収することができるな
というのが火を見るよりも明らかだったのです。
そこに年齢の上下なんて関係ない。
またその人は言葉を尽くして頑張って説明していたつもりだったけれど、言葉足らずだった。足らないのだけれど命式を見ればその人が本当に見ているところ、最終的に意図するところ、だから今これをしているのだということもとてもよく分かった。
そしてとても頭がいいのに相手に伝えるとなるとどうも上手くいかず、しかも空回りして誤解を招くといった流れになりやすいのも命式通りで手に取るように分かったのです。
当時の私
だからといってもちろん命式だけで100%その人のことが分かるわけではありません。
たとえ命式が〇〇だったとしても、本人が〇〇な生き方をしていなければその持って生まれた部分は磨かれず学ぶこともないからです。けれどもその人はまさに命式に合った生き方をしていた。
つまり算命学を知らない人には全然見えない部分が、私にはとてもよく見えた。
算命学を知っているということは、生きていく上で普通は知ることのない『世界を全く別の観点から理解し把握し直すメガネ』を得るということなのです。
これは本当にめちゃくちゃ役に立ちます。
特に人物を理解するのに。
人は外に表れている部分だけでは判断し切れない色とりどりなカラーを内に秘めているもの。
それが誕生日さえ分かれば、隠れた部分もかなり把握することができるからです。
もし上の例で、キレてその人から離れて行った人たちが算命学という東洋の知恵を身につけていたなら。そんなつまらないプライドで自己成長のチャンスを不意にすることはなかったのかも知れません。
本日もお読みいただきありがとうございました。
命式を読む私
The Reader (1889) ロートレック
コメント
マグリットのLe Monde Invisible、すてきな絵ですね。
映画のエヴエヴで、石同士が会話するシーンを思い出しました。
この映画見ました!
石同士が話すシーンってありましたっけ・・・?(失念)