<昨日またいきなりアクセスがめっちゃ上がったのですが、何かありました?
さて。
またドイツの歌曲の話になるのですが
高校の時に音楽選択してた人 !
この曲やらなかった?
メンデルスゾーン “ 歌の翼に ”
Hermann Prey – Auf Flügeln des Gesanges, Op. 34, No 2 – Felix Mendelssohn
この歌の歌詞を書いたのが我が街デュッセルドルフ出身の文豪、ハインリッヒ・ハイネさん。
ハイネさんは多くの詩を残し、様々な作曲家が曲をつけてそれがドイツの歌曲として歌い継がれてきているわけですが、そのうちの一つが上記の “ 歌の翼に ” なわけです。
そしてデュッセルドルフが誇る文豪だけあって、この街には彼の名前の付いた並木道があり、現在は高級ブランド街になっています。
Heinrich-Heine-Allee お昼の様子
クリスマス仕様、夜の様子
そして私はこの街が非常に好きである
ハイネはフランス移住を決意し、1831年5月に終生までの住処となるパリに移った。ハイネはフランス時代に多くの著名な芸術家、文学者やサン=シモニストと交流を持っており、その中には作曲家エクトル・ベルリオーズ、フレデリック・ショパン、フランツ・リスト、ジョアキーノ・ロッシーニ、フェリックス・メンデルスゾーン、リヒャルト・ワーグナー、作家オノレ・ド・バルザック、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマらが含まれる。
( wiki より )
なんと・・・・
ハイネさんは ジョルジュ・サンド兄貴 にも接触している!知らなかった。
↑クリックで兄貴の記事に飛びます(※)
大丈夫か食い散らかされなかったのかーっ!? ← 大丈夫、多分食われてます
そして今現在
在独人生約半分になり
言葉が分かり
ドイツの自然は手放しで素晴らしくて大好きで
ここまで何だかんだクラシック音楽に触れ続けて
ドイツ歌曲の良さをしみじみ分かって
好きな曲は歌詞をプリントアウトして冷蔵庫に貼りまくって
それを見ながら歌いながら曲を聴きながら料理して ( 危ない )
初めて この歌の良さが分かりますが
当時高校の時の音楽の授業
声楽専門の先生: これはメンデルスゾーンって人の曲やねん、聴こか。
~( 皆で聴く )~
声楽専門の先生: な?ええ曲やろ? さ、歌うで。
って
うた
われ
へんっ!!
楽譜配られて歌詞がドイツ語とカタカナで書いてあったのは覚えてるけど、ホントに歌えなかったんですよね。
音は取れるけど、歌詞・・・何やこれ?
みたいな。
そりゃ歌えねーわ。
だって今の ( ドイツ語問題ない ) 状態の私でやっと歌詞見ながら歌えるくらいやもん
でも面白いよね。
その歌詞を書いているハインリッヒ・ハイネの出生地に
まさか将来結婚して住んで
そこで子供産んで育てることになるなんて
当時は全く知らなかったわけで
それを当時の私に言ったところで
だったでしょうw
私は当時まさか自分が外国で生活するなんて思ってもいなかったので ( 国内旅行すら修学旅行以外したことなかったし ) まさか少なくとも人生半分外国生活を送ることになるとか、クララのお父さんと同じ国籍の人と結婚するとも思っていなかったし、クララのいたフランクフルトで何度も仕事することになるとも知らなかったし、始めは嫌だ嫌だブー垂れながら20年以上ドイツに住んですっかりこの国の自然に惚れこみ、相変わらず食べ物は残念すぎるものの ここの生活もすっかり気に入り・・・
人生って全く想像もしなかったようなことがどんどん展開しますよね。
今後もどんどん良い方に展開していって欲しいなあ・・・
※ 当時ジョルジュ・サンド兄貴のシリーズ記事を書いてる時に何故書かなかったのか分からないのですが、実は
フランツ・リスト と ショパン って どちらも 辛巳 の人なのですよ。
律音!
リスト 75歳没
ショパン 39歳没
同じ世界に同じ干支の人は2人要らないというのが算命学の定説で
どちらかが運を吸い取って片方は淘汰されるのですよね。
ショパンさんはジョルジュ兄貴に食われた後リストさんに運気を吸い取られたのだろうか・・・
でも長生きすりゃいいってもんじゃありませんからね?
理想的なのは短く幸せに充実した人生を送って、ポックリ逝くことでしょ?
と私は思っているので、まあいいんちゃう?( 雑にまとめたな )
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