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W アマデウス・モーツァルト

 

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以前もちょっとご紹介しましたこちら

私が敬愛してやまないGulda爺さんのドキュメンタリー番組

 

 

 

 

この中で彼が

 

Die Musik von Mozart hat mich ja mein ganzes Leben lang begleitet.

 

という部分があるのですが

 

この表現が私はめっちゃ好きで!

 

これ意味は

 

私は人生を通じてモーツァルトを演奏してきた

 

という意味なのですが、最後の begleiten という単語

 

これは お供する という意味なのです。

 

そこから

 

  • (散歩などに)一緒に行く 
  • (マラソンなど)伴走する 
  • (歌をピアノで)伴奏する
     

みたいな使われ方をします。

 

つまり彼の表現を直訳すると

 

モーツァルトは私の人生を通じてずっと私と共に歩んでくれた

(伴走してくれたし伴奏してくれた)

 

となって、もうこの表現がめっちゃ好きなんですよ!

 

これ聞いた瞬間に

 

うわっ、いいな ラブ雷

 

と思いましたもんね。

 

まぁ特別な言い方ではなく普通にこういう風に使われる単語なのですが、坊主憎けりゃ袈裟まで・・の180度反対バージョンで、演奏が好きすぎてこんなところにまで感動しちゃうってこってす pochakko

 

 

 

で、Gulda爺さんは生涯を通じて主にバッハ、ベートーベン、モーツァルトをメインに演奏した人なので、私も彼のモーツァルトを頻繁に聴いてるのですがこのモーツァルトさん。

 

 

 

この人さぁ・・・ニコ

 

 

世に出回っている彼の生年月日間違いじゃないかね?

 

 

だって彼の命式ってこうですよ。

 

 

 

 

 

彼の作風と似ても似つかない、接点が見えない 

 

と思うのは私だけでしょうかね キョロキョロ?

 

 

彼の命式を風景に直すと

 

広大な冬の沼地に2本水草がちょろっと立っている。終わり。

 

ですよ?

 

太陽なし、キラキラなし、華やかさなし。

知性の塊ではあるし社交性もある、でも とても地味 なんですよね。

 

こんなに本人や作風と命式が繋がらない人もなかなかおらず

私がこういう感覚を持つ場合というのは大抵

 

  • 誕生日を入れ間違えていた もしくは
  • 教えられた誕生日自体が違っていた

 

という場合が多いのです。

ベートーベンも誕生日不明だし、この時代の生年月日の記録って信憑性はどうなんでしょうね キョロキョロ

 

 

 

ちなみに子供の頃観た映画『 アマデウス 』で因縁の宿敵のように描かれていたサリエリさん

 

 

 

モーツァルトが期せずしてサリエリの赤ペン先生になっちゃって、皆の前でサリエリの面目丸潰しにしちゃうこのシーン、面白くて大好き 爆  笑 笑

 

 

サリエリの命式はこちら

 

 

 

これ見る限り、モーツァルトとサリエリって別に因縁の宿敵でも何でもない。

めちゃくちゃ縁が深いという感じではありませんね。

 

 

 

 

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