本日の一曲 ならぬ10曲。
もう最近はプロコフィエフにドはまりですよ。
さて。
人生いいことばっかりだといいのにな~♪
と思いますよね。
でも運というのは幸せで楽しくて嬉しくて絶好調!という時と、あれもこれも上手く行かない、辛い、苦しい、やってられない・・という嬉しくない時と両方あってこそ『運』です。どちらか一方だけでは運とは言いません。
と頭では分かっていても。
やはり大事な自分の子のことになると
人生でできるだけ傷つくようなこと、辛いこと、虚しいこと、耐えられないほど苦しいことなんかは経験して欲しくないなあ、できることならそのマイナスの部分は私が請け負うから楽しいところだけ経験して幸せな人生を送って欲しいなあ
なんてつい思います。
長男が、一番仲良しだった友人が引っ越してしまうのでたいそうしょんぼりしているのです。
長男は小さい頃から別れに敏感、というか弱いところがありまして、幼稚園がもう終わりという時も、別の仲良しの友人とお別れの時もとても泣きました。なので今回もつらい思いをするよなあと思っていたのですが、やはりそのようで。
Picasso
でも。
私は地獄のどん底を歩くような毎日だった子供時代によく考えていたことがありました。
本当にろくでもないこんな状況だけれど、もし仮に心ある暖かい素晴らしい親に恵まれ、お金にも苦労せず、気の許せる友人知人も沢山いて、且つ文武両道と全て揃った状態だったら。どう考えても素晴らしいし今より全然良い。
でもそれが当たり前だとすると、その当たり前がずーーーーーっと続いたらそこには変化がなく、それはそれでウンザリするだろう。
ってことは人は状況や環境、そして自分のレベルの変化とその差によって本当の幸福を感じるのかも知れないなと。
今思い返すと当時の私の考えはあながち外れてもいないと思うのです。
仮に私が子どもの面倒や苦を全部請け負って、子供は楽しい部分だけを経験する人生が可能だったとしたら。それはそれでそういう形の苦を強いることになるのでしょう。
そんなのは私のエゴの押し付けでしかない。
しんどさから何かを掴み取るチャンスを奪うということ。
苦しい状況から立ち上がる自分の力を知らないまま過ごさせてしまうということ。
様々な状況、環境、自分の状態を経験するといういわば「人生の醍醐味」を潰してしまうということ。
結局私にできることといえば
生きていると色んなつらいことがやってくるけれど
いつもあなたのことを見ているし
いつも家族はあなたの傍にいるし
いつもあなたのことを大切に思っているよ
と繰り返し伝えることなのでしょうね。
そういう時に
そんなく~っだらないこと知るか
お前のことなんてどうでもいいわ
と突き放すようなことがなければ、自力で突破口を見つけていくでしょう。
その力があることを信じて。
たかが子供が友達と離れ離れになったくらいで何を大袈裟な、と思う人もいるでしょう。でもそういう小さなことの積み重ねだと思うのですよね、子供の安心とか強さを培うもの、そして親子の絆を作っていくものは。
本日もお読みいただきありがとうございました。
また牡蛎を食べにブルターニュに行って参ります。ポン酢と日本米持参で。
Oysters, 1862 Edouard Manet
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