財星について考えている。
宿命に財星、すなわち禄存星や司禄星が多い人、また陰占に土性が多い人は引力が強い。それはそのように意識していようがいまいが引き寄せてしまう体質ということ。
それを自覚した上で積極的に財やモノ、人などどんどん自らに引き寄せようと思えば更に引きつける規模は拡大する。
ただこの性質は「引き寄せますよ」というだけであって、誰も良いものばかりが寄ってきますよとは言っていない。
そもそも算命学では善悪や幸・不幸を判断しない。それを判断するのは時代であり社会。感じるのは本人。
とても引力が強い人がいる。その自覚もある。
そして思い切った集金の仕方をしているのだけれど、それを近くで見ていてなるほどと思うことがある。
引力の強い人は良いものだけではなく他人の因縁も引き付けてしまう。言ってみれば『因縁引き受け屋』なのだ。
ぼーっとしていても因縁を引き付けちゃいますよね~という話でもないのだな、とその人を見ていて思う。
お金を意のままに引き付けることができるようになり始めると、欲が出てどんどん金銭感覚が庶民から離れるということはある。人間だもの(笑)
また自分があまり苦労せず大金を稼げると、何となく
皆もそんな感じでしょ?
と無意識に都合のいい同一視をし始め
これくらい取っても全然大丈夫でしょ
と深く考えずに他人の財布にがっつり手を突っ込む。
それくらい別に大した出費じゃないっしょ。
けれどもそこで、だよ。
お金を払う側は当然それ相応の見返りを期待してくる。
その期待を完全に満たさないまでも、大きく裏切らなければそれはOK。いい感じで等価交換ができたよね、とお互い平穏に収まる。めでたしめでたし。
しかし楽に大きな額を稼げてしまうことが当たり前になると
なんだこんな緩い感じで稼げちゃうんだぁ~♪
と段々そのお金の対価として与えるべき自らの責任の部分が緩くなる。おざなりになる。
そうするとお金を払った側は不満が残る。不満が募ると怒りになる。怒りが募ると恨みになる。
因縁というのは「不満足の念、後悔の念」だ。
因縁なんていうとどうも七面倒くさい難しいことを想像しがちだけれど、その面倒なことを一つ一つ因数分解して行けば、ばらされた各部分というのは人の念。想念。無念。つまり気持ちなのだ。
そうすると途端に身近で分かりやすいものになる。そう、因縁だって人間から発生している。必ず理解できるもの。
Picasso
なぜ財星が多い人、土性が多い人が因縁を引き寄せがちかというと、要はこういうことなのだ。
一般人にとってはとても大切な、命と生活を繋ぐのに欠かせないお金というものを軽視しやすくなる。罪悪感なく、責任感もなくあっさり集金する。何ならゲームのように。
それが本当は支払う側にとっては血の滲むような金額だったとして、それを分かった上で分捕るのは質が悪い。
けれども分捕っている自覚なく、僕は私は良いことをしているのだあ~と善意の人として、何なら社会貢献のつもりですらいる場合。自分がしていることが見えていない分悪質だ。救いがない。
財星を本当の意味で燃焼し次元が上がる方向に進んでいくためには、仁義礼智信の五徳全てを備え持たないといけないといわれる。この意味が本当によく分かる。
じゃんじゃん稼ぐ時、自分のしていることが本当の意味で見えるためには、自分とは違う引力の普通な人・弱い人も同じ土俵で日々命を繋いでいるのだと知らなければならない。そのための知性が絶対に必要だ。そこを蔑ろにしてはいけない。
知性を磨き現実を知るために行動する。人と繋がり、意思疎通をし、更に学んで知能レベルを上げ、相手の立場も十分に考慮してお金を扱わなければいけない。その時に必要なのが五徳だ。
ただ財を大きく回転させるだけでは、不必要に大きな不満をも掻き集めてしまいかねない。それが因縁だ。お金には因縁が乗りやすいとはそういうこと。
財星の強い人は因縁を引き受けるというより、自分が手繰り寄せてしまっているのだ。
その自覚が持てるかどうか。
そしてこれは引力に限った話ではない。
知能だってそう。
守備能力だって、伝達能力だって、攻撃・行動の能力だってそう。
全ての能力はそれを手にした瞬間から責任が伴う。
善用するも悪用するもあなた次第。
そこで問われてくるのはあなたの人間性。
天はいつも見ている。
さあどうする。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Das Kapital by Viktor Nikolaevich Deni
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