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ドルトムントで私は確かに命のかけらを頂いた

 

あああああ美しかったああああああ!あんなにも美しいものがこの世には存在するのだ。

そしてこの人とショパンの相性は一体どうしたことだろうか。

 

完璧すぎるのだ。

一分の隙間もズレもなく完全に一体となるだけでなく、どこまでもどこまでも深く潜り、そこに潜む心の機微を軽々と掬い取り、異空間に打ち上げ華麗に花咲かせる。

 

ドルトムントであった、カナダ人ピアニスト Jan Lisiecki /ヤン・リシエツキ氏のコンサート。

いやもう滅茶苦茶良かった。良かったなんて言葉では到底表せはしない。

今回彼の出番は後半だけ、ショパンのピアノコンチェルトとアンコール1曲。これもショパン。

 

好きな演奏家が完全に曲に入り込む時、聴き手の私もまたともに完全にその世界に入り込む。彼がショパンの一つ一つの音に惚れ込み、耳で・体全体でショパンを愛(め)でその世界をなぞり再現する時、私もまたその振動を細胞全てで体験する。

それはこの世・現世とは明らかに違う、完全なる異次元の世界。

(ただそんな経験ができることは滅多にないことは付け加えておきます。超一流の演奏家でもそんな大当たりを出せることはなかなかないのです。)

 

次々に私の目(耳)の前に繰り出されるこの人の魂の世界は、私の『これが好きで堪らない』の上限を悠々と超えてくる。彼は魔法使いなのだろう。音で自由自在に楽しげに空間を操る。自らの最も繊細で、最も大切で、それゆえ最も美しい部分を惜しげなく差し出しながら。

その揺らぎの空間が最高に心地良い。

 

それは命そのものなのだろう。

あらゆる命の根源に最も近い次元に私たちはそっと、けれども力強く誘(いざな)われる。それは息遣いであり心臓の鼓動。瞬きであり風にそよぐ髪。厳かな静けさを伴う歩みであり、目の前に揺蕩(たゆた)うあらゆる可能性への小道。川面に揺らめきながら精一杯反射する煌めく光であり、夜空に輝く無数の星々。雨のあと立ち上る草いきれとともに現れる夏の虹であり、頬を打つ疾風。

 

 

音の世界に丸ごと引き込まれる時、私は人生について考える。生きるということに思いを馳せる。命を想う。

帰り道、まだ私はその世界から覚めていなかった。その美しすぎる世界の欠片は確かに私の胸のあたりに柔らかく暖かく煌めく光となり、そっと宿っていた。あれは命そのものだ。私は命の欠片を頂いたのだ。その隅々まで繊細に調和をもって編まれた世界の欠片が零(こぼ)れてしまわないよう、私はゆっくりそっと歩いた。

 

ドルトムントの街はいつでも雑然としている。

中央駅に集まる20人ほどの警官たちは、日本の警官には見られないようなお決まりの結構な装備で談笑している。こんな時間にもかかわらず若者たちは派手に騒いでいる。そんな普段であればちょっと苦手な空気の中でも、街に溢れる人々を見て、ああ皆生きていて素晴らしいなととても嬉しくなる。生きているということはこんなにも美しいのだと、一人一人の命の光を見て思うと同時に、これはあの世の視点だと気づく。

 

私は異次元の欠片を胸に宿し、まだ異次元に行ったっきりなのかも知れない。

この感覚には覚えがある。物心ついた頃

何故私はこんな体に入ってこんな世界にいるのだ

と不思議に思った、あの時の感覚だ。

私は果たして今この瞬間、本当にこの世で生きているのだろうか。

 

と思った瞬間に

 

Aber ich lebe.(でも私は生きている)

 

という、ホロコーストの生き残りの人に関する本のポスターが目に飛び込んでくる。できすぎたタイミングに映画のようじゃないかと少し可笑しくなる。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

あれほどのものに触れてしまうと、私は畏敬の念とともにただただ頭(こうべ)を垂れるしかない。本当に素晴らしい夜だった。神様ありがとう。

大丈夫、私はまだ生きていける。

 

 

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https://twitter.com/janlisiecki/status/1655492349202427904

 

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