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否定しない、できればいいところを見る・伝える、その継続の結果は

 

しかし一方で。

 

このブログでは時々書いていますが、私は楽器の師匠に人生を救われ、彼女を通じて音楽の世界を知れたから今生きています。この師匠がまさに記事の冒頭にある『 否定しない 』人でした。

絶対に否定しない。

日本で師弟関係だった約20年間、そしてドイツに来てからも繋がりがありますが、一度として私自身を否定されたことがありません。

 

これは衝撃ですよ、毒親育ちにとって。

Aをしようが、Aの真反対のBをしようが、CだろうがDだろうが・・・親には不機嫌の八つ当たりの的にされ続け、それは即ち何をしようが言おうが全否定され続ける毎日の中で『 否定されない 』という経験。

楽器を習い始めたのも親の見栄、別に私が是非とも教室に通って習いたいと言ったわけではなく(幼稚園児にそんなシステムまで分からない)、とにかく言われるがまま教室に通っていただけ。別に嫌じゃないから何となく毎週行く。なので練習なんて毎回全くしていない状態でした。

先生から見ればモロバレですよね、練習していないことなんて。でも「 これ前も言ったやん・・・まーた同じところ間違えとるんか(呆 」みたいなことがしょっちゅうすぎるほどあったはずですが、1度たりとも「 ダメじゃないか! 」と言われたことがない。

すごくないですか?

 

それどころか、そんな怠け者ボンクラ生徒の私にも演奏に真摯に向き合って、いつも良いところを見つけては褒められていました。そう、練習をしなくとも、向上していなくとも褒められたのです。

もちろん何でもかんでものべつ幕無しに賞賛されていたわけではなく(それだとちゃんと向き合っていることにはならない)、間違いはちゃんと修正されました。でも「 そこはもっとこうすると更に良くなるんだよね 」といった表現で、常に肯定がベースだったのです。

 

その結果。

私の演奏に関する自己イメージはダダ上がり

基本的な自己イメージはマリアナ海溝の深海魚どころか土に潜るよく分からん深海土壌生物?くらい低かったのに、演奏に関しては自己肯定感天に突き抜ける!という、これまた “ 中庸のない極端から極端への命式 ” どおりの精神構造が形成されたのです。

だから自己肯定感が高い人の感じが分かる。

だから上のような図が描ける。

 

どれくらい自己肯定感が高かったかというと、例えばですが・・・

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