お陰様で気温が下がりました!
というか下がりすぎ。昨日は夕立の後いきなり22度!36度から22度。寒いねんて。
さて。
行って参りましたー!Evgeny Kissin/エフゲニー・キーシン氏のコンサート久々よ!
本日は最前列じゃあございません(笑)
前後左右ど真ん中のいい場所!そりゃあもう、キーシンさん聴くならいい席取らなくちゃ。
最近はあまりに音楽のことしか書いていないので、命式貼っとこう。
私の中では宿命二中殺の代表者。
感想:調子悪いのに演奏は絶好調なのすごい。
拍手でピアノから立ち上がる時辛そうだったのですよね。心なしかお痩せになった?とお見受けし。お顔の表情がすごくしんどそうだった。
なのに演奏は全力の絶好調で、場を自分の世界に変えてしまう力が凄まじい。
彼の演奏については毎度同じことを書いているのですが、完全に乗り切るまでは『完璧なのにばらけてる』。一つ一つの音をこれ以上ないくらい丁寧に、魂を込めて紡ぐ。けれども一つ一つが非の打ち所のないほど完璧で、でも何となくパーツが分断されている。そうだそうだ、この方ってそうだった。
でも6曲から成るバッハのパルティータ(一番上)
の最後6曲目からまとまり始めた。
次のショパンも微妙にバラバラ感が戻りながらも最初の方よりはまとまりが出てきて、後半ショスタコ―ヴッチは頭から100%絶好調の全開。これが凄い。毎度後半から本領発揮の舞台になるので、今回もショスタコ―ヴッチを楽しみにしてきたようなもの。
ただ私はショスタコ―ヴッチは実は初めてで。
何となくイメージで苦手だったのですよね。でも以前もプロコフィエフ苦手だーと思いながら彼の演奏を聴きに行って、いきなりプロコにドはまりした経験がございましたので。ショスタコ(略すな)もそんなことがあるかなと。食わず嫌いは我が龍高星の主義に反するのです(笑)
ソナタ2番の第1楽章は白黒に近い無機質なカンディンスキー。
In the blue, Wassily Kandinsky
第二楽章は薄青い光を伴うレントゲンの味、眉間から鼻先にかけて引き攣ったピットブルの顔、夜の駐車場の小さく緑に光る電光掲示板、暗く点滅する冷たい蛍光灯、雨に濡れたコンクリートの路面、誰もいない薄暗い病院の廊下、直線、白い汚れたタイル、無機質、そういったものが次々と重なり連なり出てくる。私が感じたのはそれらの説明世界。
演奏がぎゅっ!とまとまった本領発揮時の彼の繰り出す世界は絶対に体験した方がいい。聴くというよりも、本当にいい演奏は必ず『体験』になる。
彼の産み出す世界は完全な1つの有機体。でもショスタコーヴィチはとても無機質。
やはり私はショスタコは苦手だな。これだけ完璧で完全な有様でどうぞと差し出されても好きでないということは、苦手なのだ。
でも、なのに不愉快ではない。耐えられなくならない。それは彼の演奏の向こうに、気の遠くなるような長い地道な彼の積み重ねが見えるから。そこは深い深い音楽への畏敬の念に満たされているから。こちらも敬意を表さずにはいられない、首を垂れるしかない真摯な生き様を感じるから。
だから、私は彼の演奏は特に好きではないにもかかわらず、必ず聴きに行ってしまう。
今回も彼の演奏を体験できてとてもありがたく思います。
そういえば
その体調的にお辛そうな感じ、今どういう運気かな?
と思って見てみると、やはりかなりハードな時期で。ええ、かなり。
なのにあの演奏ができるのか・・・
とやはりここでも敬服しきり。やっぱすごいよなー(語彙、語彙!笑)
本日もお読みいただきありがとうございました。
これは『星の大広間』と名付けられた天井。光が不規則に散らばって本当に星空のようでとても美しく大好きなホールです。
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