そんなことしててどうやって生きていくの?
とはよく聞くセリフではないでしょうか。そんな夢物語ばかり空想したり追いかけたり。霞を食べて生きていけるわけじゃないんだからもっと現実的にちゃんと考えないと、と。
私はこの世で生きている間は、夢物語だろうが霞だろうが気の済むまで追いかけたり実現したりすればいいと思うし(むしろどんどんやれ派)、それで人生難しくなってもいくらでもどうにでも挽回のチャンスなんてあるだろうと思っています。というかあるわ、いくらでもある。
でも、ですよ。
そんなことしててどうやって生きていくの?
と思ったことは今まで1度もないものの
そんなことしてて死んでからどうするんだろ・・・
と思うことは、正直ニュースなんか見てるとしょっちゅうある。
ホンマにそれでええのんか?それで大丈夫なんか??と。
まあ大きなお世話ですがね。
夜桜美人図、葛飾応為いいよねぇ、すっごくいい。北斎より好き。
私は誰にも虚しい思いを持って人生を終わって欲しくないのです。
誰もが思い残しはできるだけない状態であの世に旅立って欲しい。
ええっ、なんでそんな先の話?
と思われるかも知れませんが、私は小さい頃から
死ぬ瞬間どう思うか
死んでからどうか
という視点でものを考えています。自動的にです。生まれつきそこに視点がある。
算命学的に言えば、あの世とこの世の境目が本来の居場所である天報星が2つあるからかも知れません。
もう一個ある天将星も境目の星だしなぁ。
死ぬ前の私たちと、死んでからの私たちというのは、体があるかないかだけの違いしかありません。
心や気持ちの部分はそのまま。死ねばいきなり人格や霊格が上がるというものではない。そのまんまです。
でも例えば
めっちゃムカつくことあったなー(怒り)
あれやりたかったのにできなかったなー(後悔)
という気持ちがあっても、生きている限りは自分とは全く異なるタイプの人間や世界と触れることができる。あれを食べてみたりこれをやってみたりと気分を変えるチャンスは無数にあり、挽回のチャンスだっていくらでもある。
一方死んだ後は体はなくなり、心だけが継続して存在する。
そこで気持ちに引っ掛かりがなければさっさと次のステップに進めます。つまり成仏ですね。
逆に思い残しがあれば。
それも怒りや後悔の超濃縮かつ特大バージョンを心に抱えていたら。
この世にいてもなかなかそういう気持ちは消化し辛いですよね。
あの世なら尚のこと。
そんな消化しきれない釈然としない(なんてヌルイ表現は合わないような)思いがこの世に留まってしまうのが、未成仏霊、地縛霊。気持ちがすっきりしない、執着する、そこにへばりついて離れない状態。それが長い年月を経て似たようなマズいものと混じってあれやこれやになったりする。そうなるとなかなかどうしようもないことにならないとも限らない(回りくどい言い方をしていますが大分自粛した表現を用いているため)。
だから気持ちというのは大切なのです。
我々は皆気持ちの世界からやってきて、気持ちの世界に帰っていく存在。
なので生きている間に心残りなことや引っ掛かっていること、ムカつくこと、どんなことでも気持ちにけりをつける。落としどころを見つける。そして納得のいった心持ちでこの世を去るのはとてもとても大切。
立つ鳥跡を濁さずといいますが、物理的にはもちろんのこと、気持ちの上ではもっとそうなのです。
そして生きている間にちゃんと心に落とし前をつけるだけの時間はちゃんと用意されているもの。あとは自分で自分の気持ちにどうケリを付けるか。
そこのところちゃんと自分で気を配っていますか?自分の心のお世話をしてますか?を天はとてもよく見ている。物理的に満たされれば気持ちの部分なんて放っておいても勝手にどうにかなるよねぇ~なんて、そんないい加減なものではない。
だから気持ちは大切なのです。
ケリをつけてスッキリした振りをしても無駄。あの世は全部丸裸のお見通しの世界だから、自分の心とよくよく通じ合って、いつもケアすべし。そしてそれは自分にしかできないこと。だからいい。だから大事。
本日もお読みいただきありがとうございました。
心置きなく日本画を模写すべし。
Père Tanguy, 1888 by ゴッホ 何と暖かい色なのでしょうね。
コメント