おはようございます。大分生き返った!
皆さん、コロナワクチンまだの方は2本目打つ次の日はお仕事お休み入れておいた方がいいですよ。ワクチンの種類(製造元)によっても違うとは思いますがBioNtechは1本目も2本目も両方丸1日たってからがしんどいです。特に私は昨日が2本目の次の日だったのですが、死ぬかと思った・・・2本目はシャレにならん。インフルエンザに罹った時のあの変な体調、発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、頭ボケボケ、胃がムカムカなど勢揃い。ワクチン後は1日ゴロゴロできるようにしておくが絶対吉です。
しかし感染防止や重症化を防ぐというのが謳い文句だったワクチン、摂取首位のイスラエルやUSAが感染爆発し手に負えない状況になっていますよね。なので『 3本目を打てば大丈夫!』とか言い始めていますが、正直こんなもん3回も打てない。と思っていたら、例の男前先生ドロステン博士が
2本ワクチン打った殆どの人は追加は要らんよ~と言っているのでまあ大丈夫かな。
さて。
なるほど、お金がありそうで寂しそうな老人男性に近付いて結婚に持ち込む。その後その財産が確実に自分のものになると分かると◎す。そうしている間にも同時進行で次の獲物を探し近付き、前者が亡くなると同時にまた結婚に持ち込む。以下リピート・・・というのを後妻業というのだな?とこの記事で学びました。
こんな事件あったのですね、知らなかった。
この記事を読んでいると
滑舌は良く、やや早口で遠慮のない物言いは、いかにもお喋り好きのおばちゃんといった印象
とか説得力がすごいとか、この命式の人ならさもありなんという描写が沢山出てきます。
昨日の、有り金積めるだけ積み込んで国民見殺しで自分だけスタコラサッサと国外逃亡するアフガニスタンのガニー大統領や
この筧死刑囚はじめ、他にもでっかいスケールで物事を成し遂げることができる命式の人は沢山います。エネルギーが強いのもそうですが、発想が一般人のそれに比べてどんどん大きく広がって行って、行動範囲もレベルも桁違いになりうる。そういう器を持って生まれているということ。
しかしそこから出て来た現実、結果が良いか悪いか、良い方に出るのか悪い方に出るのかは算命学で判断するところではありません。算命学にその判断権はないといってもいいでしょう。ことの良し悪しを決めるのは社会と時代です。同じ人を殺めるでも、平和期の先進国であれば間違いなく罪になる。しかし戦時中はたくさん敵をやっつけるほど評価される。それと同じ。
なのでガニー大統領にしても筧死刑囚にしても、ご本人の人となりを全く知らず 命式だけ を見て『 この人は後妻業に精を出して沢山の男性が亡くなりますねえ 』とか『 この人は後ろ盾がなくなるや否やさっさと尻尾巻いて国も国民も捨ててトンズラしますよ 』とか分かるわけではないのです。
( 逆によく知った人物であれば普段の素行も加味して、命式から『 そのうちエライことしでかしかねんぞ・・』という予測はつきます。)
やろうと思えば大きなことが出来る。その能力を何のために使うのか決めるのは自分。決断次第で右にも左にも行ける。
算命学で読み解いていくのは図の左側の部分、持って生まれた変えられない枠組みの部分です。どんな能力も諸刃の剣であり、それをを何のために使うのか、どう使うのかは本人が決めること。つまり自分で変えられる部分。なので右側に属します。
算命学の技術ではその人の品格や人間性の良し悪しを判断できないというのもここからです。
こういう既存の枠を超えた発想や行動が出来る人というのは、そういうある種 常識を逸脱する能力 が必要とされる場で活躍できると最高です。SF映画なんかを見ていると『 よくこんなの思いつくなあ 』と感心することが多いですが、そういうのも頭の中の枠が完全に取っ払われているからこそ出て来るアイディア。
でも上記二人の行動はというと、他人に迷惑を掛ける( どころの話ではないが )、社会でも到底認められないという方向で箍が外れてしまっている。
この差は何か。
このマイナスの方向に常識を逸脱しないための受け皿というかストッパーとして機能するのが、五常である 仁義礼智信の五徳 なのではないかな。
そしてこういうことこそ、生まれ育った環境においてちゃんと教えてくれる人がいたか、それを体現しながら生きているお手本がいたか、が後に大きく響いてくると思う。もちろん環境に恵まれなくとも勉強し知識を得ることで、逆に周りを反面教師として仁義礼智信を身につける人もいるとは思う。しかし学歴は高いのにサッパリその辺が疎かになっている人も山ほどいる。
身弱の人や宿命中殺、宿命天剋地冲や宿命大半会、異常干支系ほか、既存の枠を飛び越えた発想や行動が得意な人たちがその思い切りの良さで人を傷つけたり破壊行為で頭角をあらわしたりせず、その浮世離れ感が建設的、幸せな方向に羽をのびのび伸ばせるためにも仁義礼智信は必要。昔々の中国の賢人たちはその辺もちゃんと考えていたのではないかな、とおもうのです。
Claude Monet, Wood Lane, 1876 ドイツも秋はもうすぐ。
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