最近スーパーに行った時、一人のお婆さんが薄汚れたマスクをしているのを見た。
使い捨てマスクなのに、おそらくもう何度も繰り返し使っているであろう様子で
ゴムは薄く切れかけ、マスクは縁が黒く全体が灰色になってしまっていた。
私はどうもこういうのが気になって仕方がない。
ドイツの年金はとてもじゃないが十分とは言い難く
今あるこの国の状態を作ってきた老人世代に政府はお金を回さず
外から流れ込んでくる難民には税金を費やし、その難民は自国の家族にお金を送る
一体何のために高額税を払っているのか分からん!
と怒るドイツ人は多い。
彼女ももしかすると今現在独り身でお金が十分になく、マスクを買い足すことが出来ないのかも知れない。
お金はあるがあまり視力が良くなく、マスクの状態を把握できていないという可能性もある。
それでも
どうやら世界的な疫病が流行っており、マスクはしないといけないようだ
もし自分が感染していたら、マスクをすることで周りにうつすのをある程度防ぐことが出来るらしい
というところまで理解して、社会の一員として迷惑を掛けないようにと一つしかない使い捨てマスクを使い続けているのかも知れない。
咄嗟にそのスーパーで売っている10枚入り使い捨てマスクや、3枚組の洗って再利用できる布マスクを買って差し上げられれば、と思った。
思ったのだが、その時私は6歳の双子連れ。
寝ている時以外は常に「 パーティーで最高潮に盛り上がっている人 」状態の二人
スーパーでは少し目を離した隙に全速力で鬼ごっこをし、買い物客の買い物ワゴンに激突しそうになったり
冷凍食品ケースに乗っかってみようとしたり・・野生の猿2匹を連れている状態。
しかもその時はどうしても買わなければいけないものが山ほどあり、家では長男が一人留守番中。
レジは長蛇の列。
そのお婆さんに合わせて一度マスクを買って渡して、再度自分用に買い物をするなんて余裕は時間的になかった。
なのでそれも叶わず。
なので何だかずっと気になっている。
私は常々
老後の親子関係は自分の子育ての成績表
だと思っている。
人間関係は一人では築けない。
親子関係もそう。
数十年に渡る親子関係で、自分は一体どんな形で関与してきたのか。
子供はまっさらの真っ白の無垢な状態で、親が大好きな状態で生まれてくる。
例えば生まれながらに腹黒く、父親はまあOKだが母親は大嫌い、みたいな状態で生まれてくる子はいませんよね。
そんなまっさら状態の人間を任されて、その子をどんな人間に育て上げるか。
100%自分がしてきたことが子供たちの中に反映されることになるのです。
大切にしているつもりでも実は子供のことを真剣に考えたことはなく、ただ甘やかし続けるという手抜き子育てを継続してしまえば、他人の気持ちの分からない、自分のことしか考えない立派な我が儘人間が出来上がるだろうし
常に馬鹿にし、罵倒し、否定ばかりすることで、自分の不甲斐なさから来るイライラを子供にぶつけ放題
子供に甘えることしかしてこなかった親であれば、その子は自分の身を護るため、人生を立て直すために親と縁を切ろうと思ってもおかしくない。
擦った揉んだがあったけれど、やはり親には大事なことを丁寧に教えて貰えた
今ある自分は親のおかげで感謝していると子が心から思えるような親子関係を築けていれば、親は見捨てられない。
親子ともに存命である限り、全て老後に返って来る。
全て。
けれども一方、親子関係とは別の面では自分の努力ではどうにもならない波をかぶってしまうこともあるのだと思う。
それが人生のどの段階でも。
真面目に働き納税し、ある程度の貯蓄もし、老後は十分な年金で暮らせる予定でいても
突然世界的疫病が発生して経済は大恐慌、国も年金を払えなくなったり
戦争が勃発することもあるだろう。
レバノンの爆発のように
思いも寄らないような大事故に巻き込まれて人生計画が全く狂うこともある。
でもじゃあ何が出来るかと言われると、やはり今を精一杯宿命を燃焼させて生きるしかないのだよね。
どう考えてもそれ以外にない。
あのお婆さん、寂しくないと良いな。
今度見かけたらさっとマスクを提供できるように、いくつか鞄に入れておこう。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Picasso, Taube
最近この絵を居間の中心に飾っています。
美術館で見た時はいまいち分からなかったけど、家に飾って15mくらい離れたところからふと見るとギョッとするほどのセンスの良さに度肝を抜かれるのです。
その絵の空間だけ、いきなり洗練度が半端なくなる。
なんだこれ・・・ポスターなのにやっぱりピカソってすごいわ(今更)。
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