皆様はクーデンホーフ=カレルギー光子(Mitsuko Coudenhove-Kalergi)さんという方をご存知でしょうか?
彼女は大日本帝国憲法施行後の1892年(明治25年)、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使として東京に赴任してきたハインリヒ・クーデンホーフ伯爵に見初められ、1893年に結婚。
東京府(当時)に届出された初の正式な国際結婚と言われています。
ただ、この頃の国際結婚は外国人にあてがわれた現地妻という認識が強かったため、光子は実家から表向き勘当されている。
ここからですよね。
クーデンホーフ家はボヘミアとハンガリーに跨る広大な領地をもつ伯爵家であり、クーデンホーフ一族は極東アジアからきた東洋人で仏教徒でもあった光子を奇異の目で見た。
そりゃあそうでしょうて。
ハインリヒは子供たちが完全なヨーロッパ人として成長することを望み、日本人の乳母を帰国させ、光子に日本語を話すことを禁じた。
光子は多忙な夫以外に心を打ち明けられる人間がいなくなり、強烈なホームシックにかかってしまう。
うわあああああああああああ
私だったら1週間でこうなること間違いなし。
1週間言うて翌日かい。
彼女が凄いのがここからで
夫婦仲は良かったが、18ヶ国語を理解し特に哲学に関しては学者並みの知識を持つ教養豊かな夫と、尋常小学校を卒業した程度の学力しかない妻とでは教養のレベルの差が大きく、子供たちのこと以外に夫婦でつながりを持てるものは少なかった。
が、光子も渡欧後に自分の無学を恥じて、歴史・地理・数学・語学(フランス語・ドイツ語)・礼儀作法などを家庭教師を付けて猛勉強した。
かくいう彼女の命式はこちら
いや、納得でしょう!
これは私の偏見が多少入りますが、以前にも書いた乙丑。

乙丑の人でポンコツな人って見たことないのですよね。
派手さはない。柔らかく、静かに地味に、誰に評価されずとも影の努力を継続できる人。なので時間をかけて能力を磨き、必ず少しずつ周りにも認められていく。
要は分かりやすく優秀。
穏やかに周りに馴染むのにとても強い。
1905年の日露戦争の勝利により日本の国際的地位が高まると、光子への偏見も和らぐ。
しかし翌1906年5月14日にはハインリヒが心臓発作を起こし急死。
ハインリヒの遺産は全て光子が相続するように遺言がなされていたため一族は財産を巡り訴訟を起こすが、光子は自ら法律書を読み法律の勉強をしてこれに勝訴する。
以後、夫の遺産を相続し、伯爵夫人として簿記などを勉強し、家政を取り仕切った。そして子供たちの教育のため、財産を処分しウィーンへ居を移す。
いやどんな才女ですの!?
いや、これが乙丑。ホントにね。
そしてさらっと数行で書かれていますけれども!
これがどれほど大変なことか・・・外国語で法律をマスターして自分で弁護して勝訴って、ジェイソン・ボーンかな?
いや、ジェイソン・ボーンは母国語でだったのでそれよりすごいわ。
それも21歳でハンガリーに移住したその日から日本語なし、日本食なし、日本人の友人知人なし、な生活をベースとする日々の中で!
●ぬ!!泣
どれほど日本が恋しかったでしょう。
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