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魂年齢とその成熟に必要な陰陽の二面

 

皆様こんにちは~!

今日は記事を書けますぞー!!

前々回の『有願・無願のお話』の続きはもうちょっとお待ちくださいね。

 

最近スーパーで見かけた兄貴。

ええのんかそれで。(パラノイド=被害妄想、誇大妄想)

それともこういう漫画のキャラがあるのかな?

ちなみに下にはSHIBUYAと書いてあるカオスっぷり(笑)

 

 

さて。

最近とてもよく思うのですが、年齢ってやっぱりあるわ。

人間は五感でキャッチできる事象、特に目で見て判断できるあれこれにいとも簡単に引きずられがちなので、そういった目に見えない部分はあっさり『気のせい』でなかったことにしてしまう。

でもこの表現で正しいかどうかは分からないけれど

この世に生まれて何年ですか?

のいわゆる年齢とは別に

この世に生まれてくるの何回目?どれくらい成熟してる?

年齢 はある。あるんだよなあ。

皆それぞれ自分の旅路を歩いているだけで、魂年齢が高ければ良い、低ければダメとかそういう話では全然ありません。誰でも自分のいる段階でなすべきことを楽しみながらマイペースでやっているのが理想的。それで十分。

 

魂年齢が同じくらいだととても居心地がいい。

でもホッとするし癒されるけれど、成長という意味ではもう少し刺激が欲しい。

嬉しいのは自分より少し成熟度の高い魂の持ち主と縁を持てること。

それが現世での目上に当たる人、つまり親、祖父母、近所のおじさんおばさん、先生、師匠、上司など目上の人であれば最高である。目に見えない魂年齢の上下と、外の役割という形が一致するから。矛盾がないから。そういう環境にある人は幸いなるかな。

もちろんそういう機会に恵まれるのも徳分ゆえである。本人の徳分や家系の徳分を貰ってその立ち位置にいる。

たとえ上司や師匠が年下でも、学べるところがあるならつまらないプライドなんてさっさと捨てて、素直に良いところを吸収すればいいのです。本当に成熟している人はそれが抵抗なくできる。

 

ボス(右)とその部下(007)

 

難しいのは中身と立場が逆で矛盾があるケース。

つまり目下の立場側が魂年齢が高く、目上の魂の成熟度がそれに対して低い場合。これは苦しい。その成熟度の差が大きければ大きいほど接点がなくなるので、無理が出てくる。

 

これは以前にも別の言葉『異次元不渡りの法』で書いていますね。

ご興味おありの方はこの辺からどうぞ。

“異次元不渡り” の検索結果 | 算命学を使った人生戦略作戦会議
自分として生まれた以上、自分であること以外にすることなんて何もないのよ

 

面倒でしんどいしイライラする。山積みの『何故なのか』を目の前に七転八倒、悶絶する。

でもこれがこの世の醍醐味なのだとも思う。

 

ここで大事なのは、この世だからこそ魂レベルの異なる存在と触れ合うことができるということ。それは両者にとって自分の魂を磨く経験の場となるのだけれど、だからといってそれをずーーーーーーーーっと続けるのは無理があるのです。そもそもそういった組み合わせは不自然なのだからそんな必要もない。

 

誰もが私たちのメインの居場所であるあの世から、一時的にあれこれ経験するためにこの世に滞在します。

あの世では全てがツーカーというか 思い即実現 の世界なので、同レベルの存在としか集わない。それが本来の在り方。

それを現世では別の階層の存在と直接互いに影響し合って、自分を成長させる機会を持てるよ!と例外的な環境なわけです。つまりそもそもの性質や在り方と異なる。

 

なのでそんな環境で頑張って自分を磨くことも大事は大事。

けれども同時に自分が潰れるまでそこで耐えなければならないなんてことはない。難しくとも時期が来たら『ここでの修業は終わった、卒業だ』と気付き、意識し、積極的に無理な関係から離れるということも課題に含まれる。魂の成熟度が異なる存在が居てくれるからこそ、卒業という経験をさせてもらえる。

切磋琢磨と卒業。この両者は回転する陰陽のようなものなのだと思う。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

Pablo Picasso, 1904-05, Les Baladins (Mother and Child, Acrobats)

 

子どもの方が親より魂年齢が高いことは往々にしてある。親だからとそのポジションに胡坐をかいていい気になっていると、後が大変ですね。(そして猫でも杓子でも年上というだけでとりあえず敬っておけ!を広めた孔子は今でも地獄で涙目なんじゃないだろうか・・とよく思います・笑)

 

コメント

  1. 幼少期からあった、他言出来ない変な感覚…おそらく一般の人より人生何回も何回もやっている感覚…が、有ります。(人では無く猫かもしれませんが)人を見下してるのではなく、自分よりかなり年配の方すら、幼く見えてしまうというか、天から見ている感覚とでもいうのでしょうか。
    成熟してると言えば聞こえは良いけれど、中々まともにいわゆる自分の物差しでの普・通の話をできる人がいなくて寂しいというか。(コミュ力は普通にあるし、他人に合わせて話はできるのだけれど他人に合わせてばかりで自分の魂は解放できずに延々とくすぶっている感覚)これが実のところは自惚れというか自意識過剰ならばその方が良いと思っています。

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