ここ最近の自分の記事を遡って読んでいたのですが、きゅうりの値上げ(というか物価高騰)を2回も嘆いている!
そんなに腹立ってんのかい(笑)って感じですよね。
まあでも消すのも面倒なのでそのままにしておこう。
さて。
基本スピも占いも嫌いで一切ノータッチのわたくしが時々見せて頂いているこちらのサイト。
この記事が興味深かったのでよろしければどうぞ。

もの凄くザックリまとめますと
子供は親を助けるために生まれてきま~す(ハァト♪)
みたいな世迷言ってありますがんなわけねーだろ。んなわけないのだけど、あっちの世界で一時期そういうキャンペーンが実施されたことあったんだよね、というお話。
Pablo Picasso, 1904-05, Les Baladins (Mother and Child, Acrobats)
これが本当か否か私には分かりません。そういう能力がございませんのでね。
ただ自分個人に限定して言えば、生まれてくる直前に最高に幸せで、楽しみで、はち切れんばかりのやる気に満ちていた瞬間に繋がったことはあります。

ただ、そこに
この辛そうな人(=親)の元に生まれて是非助けたい、助けてあげよう
といった意識は皆無でした。
なので
この家系の代々溜まりに溜まった因縁の【特殊清掃要員】という碌でもないポジションで、ゴミ扱いされ続け、辛酸舐め尽くすことになるのでもよければ生まれていいけど?
なやっすーい餌に何故か全力で食い付いたんでしょ、私・・・(呆)
くらいに思っています。
自分の軽率さに泣く私
Maxfield Parrish – The Young King of the Black Isles 1909
でもこれとは少しズレるかも知れませんが最近思っていたことがあります。
それは、これまたよく言われる
生まれてくるたびに同じメンバーで家族や親友、恋人などの役を入れ替わり体験する
みたいな話。
これも正直本当なのか分かりません。知りません。
けれどももし、ですよ?
もしもずっと同じメンバーで入れ代わり立ち代わり何度も同時代に生まれてきて・・・というのであれば、それは
同じメンバーで共に学びを深めましょう~(キラキラァ♪)
ではなく
やり残しがあったから
なんでしょ?なに綺麗に言い換えてんねん?と。
この世の中隙あらば真実から目を背け、望ましくない状態に陥った何かを隠すために綺麗目ラッピングで包んで誤魔化そうとする。美談に持って行こうとする。何も解決せず美に収束していない状態を、素晴らしそうな何かに上辺だけすり替えて、皆で『これでいいよね、よかったよね!』『ね♪』で終わらせる。
そんな誤魔化し仕草を分かった風情で『大人である』などと言ってみたりする。
それは現実逃避というより真実逃避なのよね。
いいのよ、別に真実逃避していれば。現実逃避でも真実逃避でも、真実を見据えて体当たりでもお好きにどうぞなのです。あなたの人生ですから。何を選択するのも個人の自由。
でも何かスタートした課題を人生を通じてとことんまでやって
もう自分ではこれ以上はできない、やり尽くした。
結果がどうであれ自分はどうなのかよく分かったし、自分なりに納得して悔いはない!
と思い残しの念なく人生を終えるのは一大事業なのです。
『進撃の巨人』諫山創
そして人生で何を課題にするにしても、そこには自分以外の人間が必ず絡んでくる。
その要となる人物との関係における課題や問題にとことんまで向かい合って、自分で決断し、自分で行動し、納得いく人生の終わりを迎えるのはなかなかに難しい。
だって途中過程ではやはり身を切るから。苦しいから。
なのでなんとな~くそれらし~く上っ面だけ綺麗目ラッピングで包んで、何となくできたことにして、ぼちぼちなんだけどやり残し満載で人生が終わる。
やり残しているから、やり残し同士また同じメンバーで同時期に生まれてくる。
それを延々繰り返す。
ってことなんでしょ?
などと最近考えていたところでした。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ここまで書いて気付いたけれど、私がよくあるスピ系や占いをどうも受け付けないのは 綺麗目ラッピングで包んで誤魔化しました臭 が強いからだ。それはスピ云々よりもそれに携わる人の真実逃避癖が色濃く反映されているからなのでしょう。
だから釈然としないし何の役にも立たない。
かまくらの中で歌う子供たち(1956)濱谷浩
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