ここのお部屋に泊まりたい!モン・サン・ミシェルがバルコンから見えるなんて、何と贅沢なのでしょう。
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と思ってサイトの他の写真を見たら、ここ前回途中で寄ったレストランだわ。そっか、あそこ泊れるんだ。また行こう♪
さて。
私は自分の魂がどこに向かっているか分かっています。最終目的地というか最終段階の人生、人間として生まれてくるシリーズの最終回はここ、というのを知っています。
これについては果たして本当にそうなの?を何度も考え直したり、感じ直したり、視点を変えて見直してみたり・・・本当にしょっっっっちゅうあれこれ検証し直しても必ず意識がそこに辿り着くのです。辿り着くというよりもガッツリでっかい錨(いかり)がその目的地に降ろされていて、そこ以外は考えられない。それを思う時の、感じ直した時の内側の反応が他のどれとも明らかすぎるほど違う。ああ、やっぱりここしかないんだなと。揺らがないのです。絶対にここだと。
一方、その目的地は実は自分で変更可能なのも知っています。自分で決められるのです。想定している最終段階の人生があまりに過酷過ぎるのであれば別に変えてもいい。自分で決められるのです。自分で決めるのです。誰かに押し付けられるものではない。全ては自分の手に委ねられている。
現在の私は図のようにその目的地にがっつり降ろされた錨と鎖で繋がっていて、少しずつ進んでいます。
一直線にではなく右に左に揺れながら、その最終目的人生を実現するために必要なあれこれを全て網羅すべく、一見それとは全く関係ないような経験を積んでいる最中なのです。
( 図のように再来世くらいに最終段階に辿り着ければいいけれど、それがいつになりそうかは私の頑張り次第・・ )
たとえば・・・
その最終目的としている最終段階の人生は私一人では実現できません。多くの協力者が要る。その協力者を募る旅をしているのが今世です。というとまるでリクルート活動のようですが、簡単に言うと
今世で誰かの役に立って全力で心から感謝されるような存在になる
そしてその人が自発的に『 次回の人生では是非私があなたの人生を支える役を仰せつかりたい 』と思うような流れを作る
ということです。これが超長い目で見た時の下準備になります。別の言い方をすると徳を積むということでもありますね。
( 別に怪しいところに謎の指輪を取りに行きたいわけではありませんが協力者イメージ図・笑 )
それと同時に孤独耐性を魂に沁み込ませるというのも今回の人生の課題です。
最終段階人生では仲間の協力を仰ぎながら実現する必要があるのですが、仲間に囲まれながらも常に自分一人で立って決断・行動しなくちゃいけない。その練習をしているのも今。私の命式はかなりの孤独命式ですが、孤独な状況を楽しみながら乗り切るということを今世でじっくりマスターしなさいよ!と言われているのです。言われているというよりも、自分でそのように決めて生まれてきている。
でも予定は未定とは皆様ご存知の通り。
そんな感じで想定しながら進んでいても、私は今世大変ご恩を受けた方がいて、もしその方が
佳代ちゃ~ん、今度は私主役の人生やりたいから私をバックアップしてくれる役やってくれない?
と言われたら即座に
ええそりゃもうわたくしでよろしければ!恐悦至極に存じ奉りまする(土下座)
となるもんね。
魂の旅も現世の旅と同じ。寄り道もまた一興。
そうやって別の経験を積むことも出来ますし更に仲間を募ることもできる。王様を経験することも古事記を経験することもできる。女にも男にもなれる。魂の旅視点で見ると現世ってあっという間の短期旅行みたいな感じなんだよね。だからわりと皆思い切って過酷な状況にも生まれてきたりする。短期集中でガっと徳積むコース行くぞ!みたいなね(笑
まあそんな感じで私は生きておりますよっと。
皆様はどんな行程を思い描いてどんな最終段階人生を実現されるのでしょう。楽しみですね♪
Mont Saint-Michel, 1832 by Theodore Rousseau
本日もお読みいただきありがとうございました。
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