今朝目が覚めた瞬間から頭の中でこの人の演奏が流れていたのです。好きな演奏でなければこんなことは起こらない。こういう入り方をされるのは嬉しいなあ。
。
実はこういうのも憑依体質の表れ方の一つです。
良いものにも嬉しくないものにも無形の世界で門戸を開いてしまっているのが憑依体質。だから要らないものが入る隙間がなくなるほど良いもので先に自分の中を埋め尽くすといいですね。
ってこの方、来年5月にウィーンでゴールドベルク(バッハ)演奏なさるのですよね。すっごい行きたいな。チケット取るべき?直近のコンサートは既に売り切ればかりだし・・・でもチケットはまだ売り出してない模様。
私はやはり家系の中で泥を啜る役割の人間なのだなと思う。
気分のいいものではない。何故私が?という疑問は生まれた時から今までずっと頭の中に我が物顔で鎮座している。
でも構わない と思う。
これが私の今世での役割なのであれば構わない。受けて立とう。やり切ってやる。そこはもうとっくの昔に腹を括った。
だからといって
私で良ければできるだけのことをさせて頂きます
なんて殊勝なことは思わない。
オォォンマエrrrらよぉ~見とけよ?(※)
誰のせいで、一体誰がボンクラなインチキな生き方したせいで私がここまで家系のドブさらいせなアカン羽目になってるか分かっとるな?あ゛ぁ゛?
お前らの尻拭い、全部きっちり綺麗~~に成し遂げて見せたるからな?
その生き様をちゃんと目見開いて、耳かっぽじって一瞬でも見落とすな。
けっ!!
(※)rrrは怒りの巻き舌
と血の繋がった先祖たちに啖呵を切っている。わりと頻繁に(笑)
1892年、アムステルダムでのファン・ゴッホ回顧展で、リシャルト・ロラント ホルストが描いたカタログの表紙
当たり前だ。
私も先祖もみんな人は対等。それは宇宙の理。生きていようが死んでいようが知ったこっちゃない。
対等でないのはこの世のシステム上の役割のみ。
社会が機能するためにはそれぞれに役割があり、役割には機能上高低があるというだけのこと。
何か心当たりがあって血縁関係、ご先祖にありがたいなあと思う節があるのであれば、亡くなったご先祖に思いを馳せる時に感謝するのは素晴らしいと思う。それは必要だ。
けれどもただただ周りが
ご先祖様には感謝しましょ~♪
というからってだけで、ナムナムと心の全く籠らない調子で
ご先祖様ありがとー(棒読み)
で何か良いことをした気になっても何の意味もない。
向こうには本心しか伝わらないからね。
仮に私があの世から子孫を見てそんな様子が感じられたら
あーあ・・・なーんも考えんと周りに流されてテキトーなこと言いよるわ
どの辺が一体ありがとうなんや。それ分かって言うとんのか?
ま、別のシーンでも日頃からそんな調子やもんな、はよ自分を取り戻せるとええな(呆)
とどっちらけになること請け合いである。
あくまで対等でよろしい。そこを忘れてはいけない。
でないと大きく勘違いして自分の立場を見失う。この世とあの世において。
ちなみに私は先祖の中にちゃんと生きた人がいてその恩恵を受けているのも知っているので、啖呵切ると同時にそういう先祖たちには
ありがとね~♪
と念を送っています。
そして一応書いておくと、チーム佳代のメンバーも対等です。
注:チーム佳代の中には血の繋がった人はいません
ってなんでこんなこと書いてるんだろ?
そうそう、人生のハイライトについて書きたかったのだった。
なので次回はそれで。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Ernest was ready for his walk by Alison Friend
コメント
私も先祖(顔を見知った直近に限ります)にはちょくちょく脳内で啖呵を切っているので驚きましたw同じです!
「よくも幼い頃の私にろくでもない意地悪したり迷惑散々かけたな。悪いと思うなら少しでも私の人生に加勢でもしてみろや、まあしないだろうけど!」などと口汚くやってしまいます
なまじ顔や言動を覚えているので彼ら彼女ら=尊きご先祖様と思うことは大変困難ですね…
おお~同じ方が!笑
ただ私の場合は肝心のドブ側親族との付き合いがなかったので、特定の誰かにという感じではなく、そもそもそんな流れにした何代もの顔も知らん大勢に向かって言っています。
あのとりあえず感謝、とりあえずへりくだっておけばなんかいいことあるかな、みたいないい加減な流れがアホらしくてね。
別に上から目線になるでもなく、対等な関係であるという頭の中の認識はとても大事ですね。