円とユーロの為替が140円超えたな・・・と思ったらあっという間に144,06円まで行っているのですが!?でもまあ以前には170円近くにまでなったことあるし大丈夫大丈夫(全然大丈夫でない)。
さて。
人はいつだってその時の人生で何もかも手に入れたい!と思いますよね。
学校に入れば友達100人できるかな、作るぞ!と思い、成績は優秀であった方が良く、スポーツ万能でナントカ大会で賞を獲ったりもしたい、将来に役立つ習い事をしそこでも頭角を現し、でも並行していい大学にも入ってサークル活動やバイト、恋愛も充実させ、一流と言われる安定した(ように見える)企業に就職し世間で良しとされる年代で結婚し子供も男女両方持ち、貯金もいい感じであって家も建てて子供をいい幼稚園学校に入れ自分は仕事も軌道に乗り休みには家族で海外旅行もするし家族仲は良く親も元気でお金があって機嫌がよく善人で友人知人近所民にも恵まれ、60あたりで退職するまで社会は衰退せず会社も順調で自分の給料も上がり続けてばっちり資産形成も完成し家族誰も大きな病気・怪我をせず夫婦仲もよく老後はのんびり趣味と旅行に日々を費やし寿命が来たら順当にそこそこの病院で治療しつつ出来れば家で息を引き取れれば・・・
いいと思う。いいよね。多くの人は漠然とこんな理想を描くでしょう。
いや無理でしょ なんだけど(笑)
まあたま~にこういう1点の曇りもない人生送る人もいるのかも知れませんが。
1つの人生に何もかも詰め込もうとする。
ぜーんぶやらなくちゃ!ぜーんぶ成し遂げなくちゃ!
だって人生は1回きりなんだから!
そういう設定で生きるのもいいと思う。
人生は今世1度きりなのだ、とでも思い込んで背水の陣的環境に追い込まれない限り人間は伸びきってしまいがちだから。まあ次があるからね、と。8月31日までまだ時間があるから夏休みの宿題はまだ手を付けなくてもいいや~♪と先延ばしにしちゃうアレと同じ。
でも本当は人生は今世限りではない。人は何度でも転生する。
人生は、というか魂の旅は3部作だったり10部作だったり125部作だったりするのです。
もし皆がそれを知れば、それが人類共通の大前提となれば、この社会も地球環境ももっといい感じに変わるのになと思う。だって皆今ほど物質主義的にガツガツ生きなくなるはずだから。もっと未来のことを自分事としてまともに捉えるようになるだろうから。
そもそも人間一人が1回の人生で上記のように何でもかんでも詰め込もうとするのは、その努力は尊いにしてもものすごく無理がある。そこに向かって頑張ってやってみるのは素晴らしいことだけれど、“そうでなければ許されない、存在価値がない” 的な空気はとても不自然だ。
そして人間一人一人に無理が掛かると、人間の集団からなる社会全体が不自然な在り方となる。
貪欲なのもいいけれどそんなにガツガツしなくてもいい。
人間というのは空間と時間から成る世界に存在し、時間もエネルギーも有限。だから一生の間に出来ることにも限界はある。限界がある上に転生が何度も可能なのであれば今回はメインをこれにして後はまあボチボチ、という選択的な生き方でいいじゃないと考えられる。
そして今回成し遂げたかったけれど無理だったことも、次回の人生で可能になるかも知れない。実は今回の人生で実現できていることは、過去世で喉から手が出るほど切望したものだったかも知れない。それを実現するために、今回のあなたのキャパでは別のカテゴリーでの活躍は抑え気味にしてるよということだってあり得る。
それは『 敗者復活戦 』的な考え方ではなく、一つ一つ順番にじっくり経験して行こうという進み方の話。(※)
そしてそれまでの全ての経験を総まとめしながら、魂は1段高いレベルでより大きな目標を持った人生に進んでいくということ。(もちろん生き方によっては1段下がったりもしますが)。
そんなこと仰っても何度も転生できる保証なんてないのですから、今世に全部!の勢いでやっぱり全部取りに行きますよ!
もいい。とてもいい。
でもそうじゃない生き方もいいよね!ということ。
仮に転生はない、この世界に生まれてくるのは今回1回きりだったとしても、多くの選択肢から全部ではなく一つこれだけは!に絞って注力して生きることは、死んだ後も後悔にはならないはず。なのでそれもいいと思うのです。
大丈夫、何度でもチャンスはあるからマイペースで。自分のキャパに合わせて自分の自然を中心に据えて生きよう。
トマス・コール『人生の航路《老年期》』1842年
本日もお読みいただきありがとうございました。
(※)1度の人生に全部とは言わないが、ちょっとずつでもあれもこれも!の人たちもいて、それがこの記事の人たち。
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