東洋の予知学には活用する人間の想念が入り込む余地を前もって取ってあります。
なので
占い師自身の人間性が大いに問われ
尚且つ
占って貰う側の人間性も要求される
これが東洋の占術活用の難しさになるのです。
これは四柱推命にも算命学にも言えることなのですが、全く知識がない人にはイマイチ分かりにくいかも知れません。要は四柱推命なり算命学なりを生かすも無駄にするも、悪用するも善用するもそれを利用する人次第ということです。
色々な意味で、あなたはどんなレベルの人なのですか?が両者に問われる。
もっと言うと、いくらでも自分に都合よくインチキや嘘八百を並べて、それらしく命式主の悪口に利用したり、逆に甘言を垂れ流すこともできる。相手を篭絡する手段にもできてしまう。つまりいくらでも詐欺の道具にし得るのです。
口から出まかせで信者を募り、一人当たり何百万円も貢がせ、自分が原因でその人の人生を狂わせその家庭を壊すことになっても平気でへらへらしながら生きるというような、そんな犯罪級の詐欺にも使ってしまえる(何か見た)。そして自分を成功者であると勘違いし、実力者であると嘯(うそぶ)く。そしてそういうのに引っ掛かってしまうのはやはり同じようなレベルの人たち。
じゃあどうやってそういう詐欺師を見分けるか。というよりも自分はそもそもそんなカスとは縁がないわ♪状態にどうやって移行できるか。
力を付けたくば学べ。それだけのことだ。
日本語には 知は力なり という素晴らしい表現がありますね。学ぶということにはさしてお金はかからない。やるかやらないかだけ。
そして鑑定する側は?
本来四柱推命も算命学もその源流は同じなので
ちゃんと基礎からきっちり学んでいれば間違っても、インチキで人の人生狂わせても大枚ちょろまかした者勝ちよ♪にはなりません。
なぜか。
ここ最近よく書いていますが、この世界は(現世じゃないよ、それも含むもっと大きな世界)陰陽の法則で成り立っているからです。あっちが出ればこっちが引っ込む、こっちが上がればあっちが下がる、この時期上がれば別の時期は下がるから。
いい加減なことをして楽していい思いをする。そこで自分も周りも本当に幸せになれば何の問題もありません。でも大抵はそうじゃない。そうなると必ず壮大なしっぺ返しを食らうことになるからです。本来四柱推命や算命学を本当によく知っていればそれはもう基本原則なので、いい加減なことは出来ないものです。それは自殺行為になる。
インチキを平気で出来てしまうということは、基本原則も分からず東洋の占星術を使ってるということなんだよね。
もしそのしっぺ返しが仮に【悪行を働いた自分に】【直接】【今世、つまり生きているうちに】返って来るならおめでとう!自分で自分の尻拭いをするチャンスを、それも早めに与えて貰えて滅茶苦茶ラッキーだったね!それだけでチャラになるかどうかは知らないけど、とりあえず陰陽バランスをある程度取り直して死ねるから良かったんじゃない?ということになります。
そうでなければ家族や子孫にツケがまわるでしょう。家系に泥を塗るという言葉がありますが、そんな生易しい話であるはずがないじゃない。家系をガッチガチのドブにする張本人に成り下がるってことです。
子孫がいなければ尚のこと、死んだ後でささっと罪を償うなんてそんなヌルイ話はないよ。ない。「 今だけ金だけ自分だけ♪」思考で今世という短い時間、一瞬の快楽のために未来永劫大変な負債を抱えることになる。
四柱推命も算命学も最終的には、その予知・予測で出てきた結果を冷静に受け止め、如何にそれに理性・知性で対応するかが鍵となってきます。なので理性や知性がないと本当に猫に小判(詐欺師は猫みたいに可愛くないけど)、豚に真珠、宝の持ち腐れにしかなりません。
だからこそ生涯学び続けることが必要とされる学問なのであり、本当の意味で人生に役立てられる人が少ないのかも知れません。私が「 算命学は人を選ぶなあ 」とよく思う所以です。
そしてもちろん私もまだまだ勉強・・というのは言うまでもないことです。
女占い師 1633-1639年 by ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
本日もお読みいただきありがとうございました。
コメント