本日はこの記事の続きであり
この記事の続きでもある話です。
全く同じ日に生まれ同じ宿命を持って生まれてきても、せっかく持って生まれたそれを世のため人のためもちろん自分のために回転させながら生きて行くのか、自分さえ良ければ家族や子・孫それ以降の血族がどうなっても別にどうでもええわ、むしろ踏み台じゃと身近な人を食い潰しながら生きて行くのか。
善に転ぶか闇落ちするか、その違いは何だろう。
これは算命学では分からないのです。これは完全に算命学外であるこっちの話。
これ以降は算命学外の話であり、私の考えでありながらも言ってみれば私の感想みたいなものであるということを先にお断りしておきますね。
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JPKが自分の立身出世の妨げになるからと、知的障害のある娘にロボトミー手術を受けさせ廃人にした挙句、世間の目の届かないところに押し込め、その人生を叩き潰したといったことは闇落ちどころか犯罪級の悪事です。
でも彼だって始めから平気で人を傷つけたりぶちのめしたり人生を叩き潰したり・・・ができる子供だったわけではないと思うのです。
じゃぁどこから?何をどうすれば闇落ちしたことになるんだろう?って話ですが、大抵の人は目に見える実害をもたらしたらというところで落ち着くのではないかな。つまり法律の範疇、至って常識的。
でも実際はその前段階、
『 こいつは粗末に扱っても良い、害しても良い 』
と誰かに対して思った瞬間に、その人は既に闇に落ちてる。
私はそう思うのです。
人間誰しも清廉潔癖な聖人君子はないので必ず闇の部分を持っている。別にコソ泥したりムカつく奴ぶん殴ってもバレなきゃいいよね、みたいなところまで行かずとも、例えば日本やドイツみたいな国に住む人たちは途上国の労力を安く使った上で今の豊かな生活が成り立っている。何となく皆それを知っていて、でも自分の生活レベルは落としたくないからその不公平も見て見ぬフリ、それにどう改善して行けばいいか分からないから仕方ないか~と自らの優位に胡坐をかいて生活する。
これも闇落ち。でもいわば消極的闇落ち。
じゃあ積極的闇落ちとは?
気をつければすぐにやめられるのに、自らの心地良さのために相手を害すること、別にそれくらいいいじゃんと自分に許可を出すこと。
皆で使うものを粗末に扱うとか
例:路上ポイ捨て、電動Rollerを使った後その辺に倒して放っていく
屋外の落書き
私はバンクシーは嫌い
それが進むと相手の気持ちを慮ることなく、むしゃくしゃするから物にあたるとか
例:星飛雄馬の父の得意技、ちゃぶ台返し
と思って絵を拾って来たら子供をハリ倒しているのでこいつは真っ黒。
『 私にそれをする・言うのはやめて欲しい 』と言われたのに無視して続けるとか
by 香川県警
この辺になって来ると目に見えて現象化しているので真っ黒闇落ち系なのは明らかですが
こいつなんてどうでもいい、特にこいつの気持ちなんて
と思った時点で闇に落ちてる。実行行為に移していなくても。
分かりやすいのが家族内、家系内、会社内などの閉鎖空間で『 法に反しないやり方でならこいつを害してもいいだろう、特に外にバレなきゃいいや 』と継続されがちなモラハラ、パワハラ、DV、子供の虐待。
最終段階がJPKの案件だったり、新聞を賑わす事件。
いずれもその気になればやめられる。でもやめない。何故なのか。
それは闇落ちする人たちに決定的に足りていないものがあるから。
これはもう現代病なの?と思ってしまうくらい、殆どの人に見られる欠乏。皆餓えてる。
それについては次回。
『 人間のなす最も悪いこととは、善悪の区別がつかないってこと。悲しいことにこれが真実。』
by ハンナ・アーレント(哲学者&文筆家)
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