母親をしている私ももちろん私なのであり、私個人・単体から切り離せないし
切り離したいとも思わないし一緒でいいのだけれど、このブログに向かう時は
子供と繋がる以前の私個人からの継続である私単体でありたいのだと思う。純粋に。
ちょっと前からベルリンに初滞在しているのですが、ベルリンは不思議です。
同じ国なのに明らかに人も空気もデュッセルドルフとは違う。外国みたい。
なのにいつも通りドイツ語が隅々まで伝わって(←当然)何だココ!?という嬉しい感じがずっとあります。
天気の良い時は、滞在先にちょっとしたバルコンがついているのでここで記事を書けたりします。
この椅子に座った時の眺めはこんな感じ。
ベルリンの中心地から近く、ここも人通り車の通り、そして電車まで通っているので
街の躍動感の真っただ中に放り込まれたよう。
そんな人々の往来を眺めながら気持ちのいい風に吹かれてPCに向かうのも愉しいものです。
先日皆で朝食を終え、夫が昼寝をするというので(午前中なのに・笑)
昼寝してる間を利用して近くに散歩に行こうとGoogle Mapを眺めていて驚きました。
Käthe Kollwitz (ケーテ・コルヴィッツ)美術館がある!近くに!ベルリンにあったんだ!?
ケーテ・コルヴィッツ美術館はデュッセルドルフからほど近いケルンという街に実はあります。
ただ行ったことがなかったのですよね。
彼女の作品は画風はものすごく好きなのに書かれているテーマが重すぎて、私は耐えられるだろうか?
とちょっとビビッてずっと行けていなかったのです。
なのでこの機会に思い切って行ってみました。
これが美術館。
この辺りはとても高級感ある素敵な区画で、こんなところに住みたいなあなんて思いました(笑
実はこれ行った前の日、既に
レンブラントや同時代のオランダ画家たちも
モネやシスレー、カミーユ・ピサロ、ベアテ・モリソ、ポール・シニャック、ヴラマンクなどの印象派も
カラヴァッジョやルーベンス、その時代の有名どころも
山ほど観て思うところが多かったのです。(また追い追い書きます)
しかし。
ケーテ・コルヴィッツの最初の一枚を見た瞬間
それらの『 思うところ 』が一気に吹き飛んでどこかへ行ってしまいましたね。
これが『 死の呼び声 』。
これ見た瞬間に体中に電気が走りました。
ビビビじゃなくて、びゃりびゃりびゃり!みたいな初めての感覚。
彼女の作品はPC越しに見ても迫るものがありすぎてすごいのですが、実際に観た時の衝撃たるや。
これは収監されている人たちが音楽を聴いているところ。
めちゃくちゃすごくないですか?今PC越しで見ても震えるわ。何この画力。
絵を上手に描く人は世の中にたくさんいますが、人間の感情の奥深くを正確に感じ取って
それを絵で実物よりも本質を凝縮させた形で再現するこの才能。
これレーピンと全く同じだ!と思ったのです。
レーピンとこの人以外、ここまで人間の奥深くに潜む感情を絵で表現できる人を知らない。
レーピンについて以前記事を書いた時も、彼はきっとHSPのエンパスで共感能力無茶苦茶高かったはず
と書いたことがあります。
しかしレーピンは画家の王道の最高峰を歩み、実力はもちろんあるけれど
絵の対象にロシア帝国議会(でいいのかな?)や皇帝、貴族の肖像画などもたくさん書いており
上手く上層部とも付き合えたし大学の教授にもなったしと、立ち回りも卒なくこなしていたのです。
一方ケーテ・コルヴィッツさんは常に絵の対象が一般市民、特に貧困層の困窮と苦痛
窮乏、飢餓、病、死、怒り、憎しみ、暴力、悲しみが主で、絵を通じて社会の在り方を問う!
といったタイプの人でした。
この辺後で書きますが、さすが壮年期天南星(冠帯)なんだよね。
そんな風にこの私が大好きな二人の画家は、画家としての歩みも対象物も異なれど
実は見ているところが同じだった。
感じ取る鋭さと絵に再現する能力の異次元度が同じだ。
美しい絵やキラキラした絵、癒される絵もいいのだけど、やっぱり私は『 個人の奥深くに潜む感情 』
にとことん意識が向かうし、それを最も大切にしている表現に強く惹かれるなと思います。
長くなるので続きは次回。
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