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考えとその源泉について

 

UMAくん < コメントやメッセージ、メールなど色々なところでたくさんいただいており、とても嬉しく思っています。どうもありがとうございます!

どれも全て感激しつつありがたく読ませて頂いております

ただ現在あれもこれも手一杯で、個別にお返事をお返しできずごめんなさい。

 

キラキラ

 

『 自分で 』考えているつもりで、しかしよくよく観察してみると

考え というものは自分の内側にポッと発生するもの。

 

その発生源は?

出所は何なの?

その向こう側には何があるのか?

その考えはどこから来たの?

そして

その考えを私の内側に発生させようと決めて実行したのは誰なのか?

よし!

その “ 考え ” が私の内側に発生する瞬間を捉えて、出所を突き詰めてやろう ニヤメラメラ

 

と虎視眈々とそのチャンスを狙っていた時期がありました

小学校低学年の時、学校の授業中に 笑

だって授業ツマラナイんだものw

 

でも 考え には大きく分けて2種類あって

  • 上記のように自分の 内側に勝手に湧き上がってくる考え
  • この世の 自分以外の外側から流れ込んでくるもの

とがある。

子供の頃は圧倒的に前者優位に生きているけれど

そのうちあれもこれも頭の中に詰め込んでいく、詰め込まれていくうちに自分の内側の大部分が後者になっていく。

もちろん生きていく上で有用な知識も知恵も情報もあるから悪いことではないのだけれど

自分の内側に自然発生する考え・直観を無視し続けたり、押し殺す生き方を続けると、自分が自分の軸から少しずつズレて行ってしまう。

これは実は死活問題なのだ。

どれくらい重大な影響を及ぼすかというと、自分個人の死活問題になるだけでなく、自分の家族や子々孫々にまで影響が出てしまうほどのもの。

 

ちなみに私の場合は音で表現する時にものすごい勢いで内側から湧いてくるものがあるのだけど

これの 出所=源泉 と、上で書いた『 自分で考えていると思っているけれどその考えは内側のどこかから湧いてきている』と書いたその 出所=源泉 

それらは 完全に一致 します。

誰でもその 源泉 を持っているのだけど、それが

思考するという行為において最も繋がりやすくなるのか

私のように音を繋げて表現していく瞬間にその枠がガバッと広がってすごい勢いで流れ込んでくるのか

数字を追う計算過程においてなのか

ダンスのように体を動かす瞬間にそのゾーンが広がりやすいのか

それぞれに繋がりやすい行動領域・精神活動の方向性があって、そこがその人の得意分野で、なおかつ幸福ポイントなのだと思う。

 

そして今の私は

その 音楽で使っていた源泉 と

四柱推命や算命学を勉強したり、それらを使って色々な人の、その人自身・存在の核心部に迫ったり

その人生の最も大事な部分を解析したり次の一手を見つけたりする場合に使っている機能と源泉 が 完全に一致 していると感じています。

 

これ、表面的には全く別のことをしているように見えるけど実はやっていることは本質的には同じなのだよね。

源泉からの考えと外側からのそれは複雑に混在しているので、完全に分離することはできないけれど

前者をもっと尊重する、大切にする、生きていく上で重要視するようにすれば皆人生が大きく変わるのにな、とよく思います。

もっと言えば、そういう教育を小さい頃から受けていれば、生き方が変わる。

生きるということに対する見方が変わるのです キラキラ

 

余談:

そうそう、こういう記事を毎度書きたいのだけれど、家にいると本当に集中しづらいのですよね。

こういう系統のテーマって、浮かんではすぐ消える、まさに『 雲をつかむような話 』なので、浮かんだ瞬間に文字にできる環境にいないと記事にするのは難しいのだ。

今回デュッセルドルフからウィーンまでの飛行機の中でこの記事を書きました。

やはり子供達から離れて、なおかつ変な音楽の鳴っていない場所にいると、たとえ周りに人がいても集中できるわ~

 

ウィーンに着いています

ウィーンの味( モスクワの味♪的なアレ?→ パルナス、知ってる?)

コメント

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