なんかこの記事UPするまでに1週間くらいかかってるわ!
現在4つ冲動(うち2つは天剋地冲)で前進力も馬力も激落ちくんな今日この頃。
記事はやけに長くなっておりますが前半3分の2くらいは単なる私の感想ですので、算命学の話をお求めの方はそこテキトーに飛ばしていただけるとよろしいかと思われます。
さて。
私は漫画の世界を全然知らないくせにこの漫画家さん(山田玲司さん)の話が結構面白くて時々見ているのですが
(最初の方だけざっくり要約)
世の中が豊かになってくると欲望メインに夢にしていた人たちの夢が叶っていく
金・女・名声あたり
勝てば官軍という資本主義の世界では、最終的に勝ちゃあいいだろっていうところに落ちていく
勝利主義の呪いによって『夢=勝つこと』になってしまう
するとその間にある充実感とか、負けたけど満足だし幸せとか、一応レースに参加はしたんだぞ、などということ一切合切が否定されてしまう
そこでは参加すらしていない人間が負けた人に『負けたんだろ、馬鹿じゃん』となり、0.0000・・・%のごく一部の勝利者だけしか認められないとても歪(いびつ)で、不幸な人しか生まない世界が広がる
評価主義社会では『夢とは皆が認めてくれてること』に摩り替わってしまっていて
夢には本来色んなパターンや形があるのだけど、『夢を叶えました』でイメージされるのは『皆が認めてくれてること』つまり『他者が決めている』
そちらに評価軸を置いてしまった瞬間に評価主義社会という地獄に落ちていく
例:人気がある私は偉い、儲かってる私は凄い、ということは人気がなくなったり儲からなくなると即『私=ダメ』
こうなるともう夢を持った時点で地獄まっしぐら
Twitterフォロワー数やYoutube再生数、どこに住んでるかなど
でもこれは本人の価値とは何の関係もない
分かるよねー。
私は(陽占に)財星なし子なので、基本他人がどうとかあまり気にしませんし、ガッツリ稼ぐとか、稼いで何ぼとかの価値観もありません。それでもやはり薄っすらこういう『 他者からの “いいね” を多くゲットした方がいい・・・の・・か・・? 』的なものがないとも言えません(なんやその歯に衣着せまくりな表現は)。
私ですらそんな色がないわけではない。これ、上では呪いという言葉を使われていますが、要は洗脳だよね。国をあげて社会をあげて世界をあげてのごっつい洗脳。これぞ資本主義の根幹。
Capitalism(資本主義) by Pawel Kuczynski
以前からとても違和感を覚えていたことの一つに、こういうことがあります。
名の知れたあるインフルエンサー、価値基準がお金一択。頭がくるくる回転してお話も結構面白く人当たりも良い。しかしよく聞いていると楽して沢山稼げてる人ほど優秀で、頭が良くて、勝ちで、偉くて、価値があると。それを1㎜も疑わない。要領よく稼げない奴は頭が悪いと公言して憚らない。随分前に『この人の妙なところはここだな』と思って以降その存在を忘れていたのですが、最近何年かぶりにまたYoutubeか何かで見かけると
まーだ同じこと言ってるよ・・・!
とびっくりしてしまったことがありました。今までずーっとそこでぐるぐる回ってたんかと。
その人はお金はガッツリ稼いでいる(模様、知らんけど)。当然私なんかよりずっとお金持ちでしょう。それは素晴らしい。お金は大事だ、そこに異論はない。
でも 何故お金が大事かというと、何かをするにあたってお金が必要であるという、その『何か』という目的達成行程にある程度ないと困るから なのですよね。つまり 何か夢や目的があって、その手段として必ず必要になってくるのがお金。
とまあ私はそういう位置づけで考えるタイプなのですが、その人はお金自体が目的になってる。手段が目的になってしまっている。もっと端的にいうとお金の向こうに本来あるはずの夢や目標といったものが何もない。湧いてこない。なのでいつまでたっても手段の段階で足踏みして、それこそが賢い生き方であると恥ずかしげもなく嘯く。
画家にとって最高の環境にある最新で超理想の作りのアトリエを持っていて、世界中のありとあらゆる最高峰の画材・資材を揃えているしいくらでも手に入る。でもそれらを何年も延々集めるだけでまだ絵を1枚も書いていないだと!?じゃあ何故そんなもん揃えてるんだ?的な。
何かを経験して欲求を満たせて幸せや達成感を感じるからこそ生きて来るのがお金であるのに、お金の向こうに何もない。そしてそれを恥かしいことだとも思っていない(まあ別に思わなくても良いんだけどね。私の感覚からしたらそれはどエライ恥なのですよ。)
手段だけを完璧に整えて、それに飽き足らず手段をどんどん膨らませはするものの、その先がない。
めっちゃお金はあるのに恐ろしく貧しい
恐ろしいよなと思う。何でもできるのに何もできない。
***
なーんていうのは私の大変片寄った個人的感想なのですが、ここで視野を広げるのに役に立つのが算命学。
算命学で見るとお金に対する姿勢や有形・無形の世界どっちが大事?有形ならどの辺が、無形ならどっち方向でなど分かります。またどちらか一方!という話でももちろんなく、価値観形成・人間構築の際にまずは現実的世俗的物欲的な面から実現して行ってそれが満たされたら無形の世界に傾倒して行くとか、その反対とか。
その在り方もその人の宿命によって千差万別です。
てことはだよ?
上のインフルエンサーのような考えでOKな人も存在するわけです。人生の真ん中に『お金儲け』というものをドン!と据え置いて生きても良い人もいる(もちろんお金一色では人生片寄るのでそのうち気付くか、気付かずバランスを崩すかなどと分岐して行きます)。
でも宿命が千差万別なのだからそれとは反対に、自分の人生の幸せとか生き甲斐などが『金儲け』ではない人の方が多いわけですよ。持って生まれた本質がそんななのに資本主義社会の『勝てば官軍』キャンペーンにほいほい乗せられて、(大変いい加減な)他者の気分に成功・不成功、幸・不幸の判断を左右される評価主義社会の地獄に頭からダイブして行ってしまうと、そりゃあ●殺行為だよ。生殺与奪の権を他人や社会に丸投げしちゃってるってことだから。
ホンマこれ。
人生の何に重きを置くのかという価値観にこそ多様性を認めて、あれに価値を置く人、これに価値を置く人、皆バラバラだからこそいいんだよね!と早く世界が気付くといいですよね。
チューリップ畑が美しくて素晴らしい!と言ったってチューリップさえ存在すればそれでいいというわけでなく、土も風も太陽も水も、土中で蠢く虫だって寒い日だって必要なのと同じ。それが世界に浸透すれば異常な富の偏りなんて解消されて、皆好きに仕事をし好きに休み、精神を病むこともなく生きていけるのにね、なんて思うのでした。
さてあなたはどんなタイプ?
本日もお読みいただきありがとうございました。
Pyramid of Capitalist System(資本主義システムのピラミッド)
余談:上の抜き書きの続き
他者の価値観や評価なんてほんっっっっとにいい加減なの
ただの気分だし、風だし
Youtubeの再生回数やブログもそう、ただボタンを押せばいいだけ、内容知らなくても良い
となると評価は数値化はされるけれど、果たして本当に届いているかどうか分かりにくい、詐欺のようなもの
なのに勘違いしてしまい危うい
これねえ、この方がここで言っていることの逆バージョン的な話なのだけど。
私のこのサイト、訪問者数やいいねの数でいえばいわゆるインフルエンサー的な数字を追う人たちから見たら微々たるものです(でもいいねして下さる皆様、私は毎度大変喜んで励みになっております、ありがとうございます!)
数値はホント少ないと思います。
でもだからと言ってダメだとも全然思っていません。
何故なら、私のところに鑑定に来て下さる方々って私のこのサイトを滅茶苦茶読み込んで下さっていて!私以上にお詳しかったりするのですよ!
『あの時書いてらっしゃった〇〇のことについて、私はこう思うのですが』みたいな話がよく出てきて、私はそういうのがとてもとても嬉しい。毎日100万いいね!がつくのも確かに凄いけど、そうやって興味を持って下さって、同じような対象物に関心を持たれる方が同じように深く考えていらっしゃって、会いに来て下さる。
なんと果報者でしょうかね、私は!
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