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弱っている人を叩く心理は如何に??

 

詩織さんのセカンドレイパー に関連する話ですが

これ以上ないくらいに弱っている人、打ちひしがれている人、ズタボロに傷ついて立ち上がれないほどの人を見るや否や

大喜びでロックオンし

ここぞとばかりに叩く人

息の根を止める寸前にまで痛めつけてやろう

という人って必ずいます、世界中。

そしてそうするだけでなく

実際にそれが心の底から楽しくて嬉しくて仕方がない。

あれってどういう心理状況なのでしょうね?

私にとっては実母がまさにこのタイプど真ん中であり

昔から不思議で気分が悪くて仕方ありませんでした。

例のお三方の場合は、ネットという公の場で

ストレートに弱い者いじめを繰り出し

その帰結がどうなるか想像もできないくらい頭が残念だったということですが。

もっと質 ( たち ) が悪いのは

善人のふりをして弱っている人に近付いて行き

助けているふりをしてマウンティングしてみたり

助けているふりをしてその人がより困った状況に陥るように手引きしてみたり

とにかく相手の人の好さと弱さを最大限利用して

自分の善意に見せかけた邪な働きかけを断れないような状況に持っていき

ヒルが生き血を吸い続けるが如く取りつくような場合です。

そして間近で人の苦しみをニラニラしながら堪能する。

私がこのブログで頻繁に

占いだろうが、カウンセリングだろうが、ビジネスだろうが

家族関係、友人関係、仕事関係だろうが

どんな場面、どんな人間関係でも

簡単に自分以外の誰かに自分の人生を乗っ取らせては駄目だよ!

人生の主導権を誰かに渡すな!

というのはこういうことなのです。

自分は何の努力もせず楽して

誰かを食い物にするだけで上手い汁を吸うことこそ

賢い人生の乗り切り方だ!

と真面目に思っている人は実はものすごく多い。

誰か辛い思いをしている人を見つけた瞬間に、目がギラリ!と邪な喜びに輝く瞬間を

私は様々な場面で、様々な人たちの目の中に見てきました。

本当に一瞬です。

本人は誰にもバレていないつもり。

でも分かります。

うわっ、やった♪キラキラ

という心の声が、その人の背景にある巨大スクリーンにぶわっと大写しにされるような感じです。

普段いい人に見える人でも、そういう色を表す時がある。

別に善人ぶるわけではありませんが、あの一連の流れは私には分からない。

弱い人が更に弱ることで

自分の

人格、品格が上がることはないし

知能が伸びることも、より美しくなることもない

より人に愛されるようになるわけでもなく

財産が増えるわけでもない

健康になったり若返るわけでもない

ただただ、その弱っている人が

より辛い状況に突き落とされるだけ。

誰も得しない。

私はHSPでエンパスだからというのもあるでしょうが

弱い方の心理状況がダバーっと自分に入ってくるタイプです。

もし仮に私が弱っている人を叩いて、その人が更に弱れば

全部その感情をモロ受けしてしまう私もますます苦しくなる。

だから余計に “ 他人の不幸は蜜の味 ” タイプの人の感覚は分かりません。

あれはそういう価値観を親から継承するものなのか?

と思ったりしますが

であれば、私なんかは実母が“ 他人の不幸は蜜の味 ” 世界チャンピオンみたいな人だったので、私もそうでなければおかしい。

でもそうじゃないということは、持って生まれた性質?

人によっては

“ 他人の不幸は蜜の味 ” と感じられる能力 ( というと変だけど ) を生まれながらに持っていて

別のタイプは

私のように、辛い立場の人を見るとそっち側の感情を ( 受けたくもないのに ) もろに受けてしまって

“ 他人の不幸は まさにそのままストレートに苦渋の味 ”

その混合型も存在するだろうし?

などとつらつら考えてしまいます。

その違いは一体どこから来るんだろう。

不思議です。

ちなみに算命学では 人間性の高さ、人格者かどうか などについては判断できません。

Wise King Berendey, 1885 Viktor Vasnetsov

クリスマスと関係ないかも知れないけど、ちょっとクリスマスっぽいよね

 

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