私の好きなロシアの画家、イリヤ・レーピンの絵は今どこで観れるのかな?と思い探してみましたところ、現在 中国国家博物館 で展覧会がある模様。

これを見てもやっぱりなと思うのは、同じ絵も展示の仕方でまるっきり見え方が変わるということ。
こちらが中国。
こちらが私の訪れたパリのペティ・パレのレーピン展。

このパリで観る前にモスクワのトレチャコフ美術館でも同じレーピン展を観ているのですが

そこでは撮影不可だったので写真が残っていません。しかし記事にも書いたように日本の市民会館のような素朴な建物で、照明も天井に蛍光灯みたいなイメージだったな。撮影禁止というわりにはむき出しの絵のすぐ前で子供たちがケンケンパでぴょんぴょん飛びながら遊んでいるし、大入り満員だしで、不思議な空間でした。
それにしてもパリのセンスの良さよね。さすが!ですわ。
さて。
家が居心地がいいというのは良いことだと思っていたのですが、果たしてどうでしょうね?
私は実家が安息の場であることはありませんでした。特に精神面。小学校低学年で既に家が嫌で嫌でたまらなかったのを覚えています。家に平和なんてない。心からの静寂なんてない。
The Monster by Odilon Redon
日々何もせず(※)持て余す時間とエネルギーに “ありったけの腹の中のムカムカ” を乗せて、少しでもスッキリせんとばかりに暴言をぶちまけ荒れ狂う母。矛先は決まって私。
※ 若くて健康、壮年期天将星の五宮同均(=オールマイティー型)が仕事もパートも勉強も町内活動も介護も一切せず、趣味もなく友達も一人もいない単なる引き籠りというのは、たとえ家事をやっていたとしても何かやっていることにはならないのです。その家事も面倒は全部長女に押し付け手抜きでしたしね。
学校は(いじめはありませんでしたが)全く楽しくなく、登校拒否になる人の気持ちは分かる。しかし学校をパスして家にいるのは更なる地獄。あんなところ無駄に余計に1秒もいたくない。
こんな学校だったら素敵だったのだけど(と思ってよく見るとオッサンばかりでむさ苦しいな)
The School of Athens by Raffaello Sanzio da Urbino
なのでどうにか家から出られる方法はないかと常に考えていました。
新聞に『住み込みで農家で働きませんか』とか『住み込みの仲居さんを探しています』みたいな募集があったのをよく覚えています。
最も理想的なのは学校に海外の学校との連携で交換留学的な体験ができる制度があれば最高。そういうのがないかなとよく探していました。もちろん私が行っていたのは地元のレベルの低~い公立中学・高校でしたのでそんなシステムはなく。あったとしても
娘には金は出さん!
息子には激甘!
を錦の御旗に掲げ意気揚々としている親の前で、実現のチャンスはなかった。それは知ってた。
それでも今のようにネットで何でも調べられる環境であれば、目を皿にして鬼のように情報を集め、奨学金など何とか実現できる方法を探り当てきっとそれに邁進していたでしょう。
母はその時の気分次第で右にも左にも自在に小突き回せる、無料でこき使い放題の便利な奴隷(=私)が手元にいないと不便。あとは『こいつには金はかけない』のゆるぎない信念の元、現実には大学も家から通う選択肢しかなく。
しかし高校生の時は
大学進学でこの人間から思いっ切り離れられれば!!
とできるだけ遠い北海道大学や、九州の方の大学の学校案内なんかを取り寄せたりしていました。北海道大学の募集要項の表紙がとても素敵で、こんな大学に行けたらなあ・・と強く思ったのを覚えています。
まさにこの建物の正面から撮った写真でした。
話が長くなりました。
長男が今高校生に当たる年齢ですが
希望があれば語学を勉強する目的で外国に期間限定で行けますよ
という市の企画情報が周ってきました。
私は上記の通りの実家生活を送っていたので、そんなチャンスは喉から手が出るほど欲しかった。欲しくて欲しくて堪らなかった。そのために成績をガーン!とUPさせなければならないのであれば、死ぬ気でやったと思います。
なので長男に
こういうのあるけど、行きたいなら行っていいよ
お金は心配しなくていいよ
と言いましたところ・・・・
いや、いい。
知らない人がいっぱいの知らない場所に行きたくない。
ですってよー奥様ー!!
私は思いましたね。
子供は成長期に心から安全安心を感じられる場が絶対に必要。それが家庭であれば理想的。私にはそんな場がなかった(今も実家という意味では皆無)ので、子供には安心してマイペースで成長できる家庭にしようと思ってきた。
けれども居心地が良すぎるというのは如何なものか。
特に長男は家から早く出た方がいい命式。本来親や親族からではなく外の世界で様々なことを吸収し、大きく羽ばたく人。
今まで部活も習い事もなく家で長時間寝ているだけの毎日だったのが、最近友人とフィットネスクラブに入り筋トレに勤しむようになってヨシヨシ♪と思っていたところ。なのでもしかすると見聞を広めるという意味で外国にも興味あるかな~?と思っていたのですが・・
まあ別に外国に意識が向かないなら無理に行く必要はない。
けれども宿命は外国とも縁がある人。
『さあ、帆を張って旅立とう。』
Joaquin Sorolla – Setting out to Sea, 1908
難しいですよね。
算命学で本人の本質、気質、エネルギー、人格形成の過程やどんな教育のカラーが合うかなど色々分かります。けれども分かったからと言って実行できるかというのもまた別。
長男は実母(=私)と縁が薄い。正直接点がなさ過ぎる。なので会話をしていても繋がりの薄さを感じるといいますか、話が全然通っていない感じがある。
命式にも出ているしそれはそれでいいのだけれど
じゃあ外で学びを得られれば!
と思っても本人にそういう気があまりない。
まあ土性が本質に目覚めるのは時間がかかるので、本人に任せて様子を見守りましょうか。
でも家の居心地が良すぎるのは要注意だなあ。
本日もお読みいただきありがとうございました。
言葉が通じなくても知らない場所でも、私は世界を見たかった。そしてそれを実現できて良かったと思っています。
Schooner and three masters, 1886 ゴーギャン
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