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子供が表彰されて幸せそうで嬉しいのを見て、嫌が応でも自分の親を思い出す

(本日は長くなりました。算命学と完全無関係というわけではありませんが、算命学ど真ん中のお話でもありません。)

 

先日下の子が市のイベントで表彰されましてね。

1人でではなく集団でなのですが、その表彰パーティーに参加して参りました。

それはナントカ国際コンクール!とか国際大会!みたいな本格的で仰々しいものではなく、ドイツの文化を大切に子供たちも混ぜてみんなで楽しみ、繋げて行けるといいよねといったイベントの一環で。

 

会自体は皆でいくつか季節の歌を歌って、代表者(?)のお話があり、指導者の挨拶があり、表彰の内容披露があり、また歌を歌って帰りにはクリスマスのお菓子をしこたま(リュックサックいっぱいですよ!)貰って帰るという、実にほのぼのしたよいものでした。

 

今の時期パン屋で出回るWeckmannという人型のパン

わたくしも頂きましたよ!

 

で、普段舞台の上で表彰されるような経験のない我が子はとても楽しんでおりまして、ニコニコと常時嬉しそうだったのです。

 

それを見て私はずっと自分の子供の頃のことを思い出していました。

私は小さい頃から楽器をしていたので発表会などもよくあったのですが、12歳で最初のリサイタルをしています。12歳と言えばうちの下の子と同じ年。

 

Georges van Zevenberghen

 

そりゃあ緊張しますよね。

自分の名前の付いた自分のコンサート。休憩も入れて100分とかでしょうか。

あの時もちろん全ての曲を暗譜して演奏し、師匠が頑張って人を集めて下さって会場はいっぱいで(小さいホールです、もちろん)

今うちの子を見て思うのは、あの時の自分、12歳でとんでもないなと。よく12歳であんなこと頑張ってできたよねと。

 

いや、わたくし凄いんです!ではなく

大昔にも1度書いたことがあるのですが、そのコンサートの後私は家で両親に完膚なきまでにボロボロにガン詰めされましてね。何時間も。両親がスッキリするまで思いのたけを当り散らしぶちまけ倒されました。

そりゃあ天才ナンチャラでもなく、プロでもない普通の子が初めて開くリサイタル。ノーミスでなんてことはなかったのは事実。

 

そんなレベルで一丁前にリサイタルなんて開きやがって!

しかも金まで取りやがって!!

と滾りに滾って感情的に怒り炸裂しっぱなしの両親の前で何時間も正座し、では私はどうすればよかったのか?を小さな頭で真剣に考えていました。

私はそんなに悪いことをしたのか。

そんなに皆さんに酷いことをしたのか。

先生に『入場無料にしてください』と言えばよかったのか(そもそも入場料があるなんて知らなかった)

今は無理だけれど、大きくなったら会場に来て下さった方ひとりひとりに1000円ずつお返しして謝罪して周ろう

と、本気で反省していました。

もちろんボロボロ泣きながら。

 

何故あんなにキレ散らかしたのか。

私には、子を持つ親になってもやはり分からないなと、舞台上の息子を見ながら思い出していました。

 

彼らは徹頭徹尾、世間体しか頭にない人たちだった。内側は見事な空洞です。

どのように振舞えば『素晴らしいですね』と褒められるか、皆に羨ましがられるか。立派ですねと尊敬されるか。それが全ての基準。

 

そのために自分で自分を磨く・・なんて努力は面倒なので一切しない。その代わり子供の魂を粉砕してでも子供にいい成績を取らせ、どんな形でも優秀さを分かりやすく世間に誇示できなければ許せなかった。それも自分の希望する形でなければならない。

『あなたのお子さんはすごいですね』の一言のために子供の子供時代を搾取し尽くし使い倒すなんてことは、我が親にとっては疑う余地のない当然の権利だった。

 

自分は指一本動かさず、子供に相撲を取らせてその手柄でふんぞり返りたい人

そういう人間はいる。『すべて子供の為でございます、我々の教育方針なのでございます』という体で。そう言いさえすれば何をしても許されると言わんばかりに。

 

私は子供が舞台の上で嬉しそうにしているのを見て、幸せだったのです。

途中で隣のお爺さんが

 

あなたのお子さんも舞台の上にいるのでしょう、誇らしいでしょう?

 

とウィンクしながら話しかけてきたのですが、正直よく分からなかった。

誇らしいと言えば誇らしいかも知れないが、子供が素直に楽しい幸せな経験を積めるのが私には純粋に嬉しい。ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

どうだ!我が子はこんな成績を取ったのだ!!こんな表彰をされて!皆の注目を集めて!

(その親である私もすごいだろ褒めて褒めて!私にも注目して!私私!)

 

は、ない。一切ない。その感覚が分からない。

子供は子供、自分は自分、だ。

仮に子供が大統領になろうとローマ教皇になろうと、私が偉いわけでは全くない。

 

多分私は、子供を通じて承認欲求を満たさねばならないほど承認に飢えていない。もう今までの人生において自分の力で、自分の満足する形で十分すぎるほど注目も承認も貰って来た。それができると分かった。

だから

子供を使って自分の存在をアピール!

私は無色透明ではない!

空っぽでも無能でもない!

私はここに存在する!

ここですここ!

ほらだって私がこの子を育てたのだから!

子の手柄はわたくしの手柄!!

すごいでしょ私私私!!

みたいな不自然なことは分からない。

悪いがそれらしいものを見かけると、心の底から軽蔑してしまう。

 

何故そんなことを書いているかと言いますと、この動画を観たから。

精神面で健全で自然な親子関係を築けている人って、こうなのだよね。子供の頃、成長期には反抗すれど、そのうち本心を分かって親に感謝する。親のために何ができるか考える。

親も当然子を本気で大切に思い、思うだけでなく行動で表し、愛する。

 

こういう家系に生まれた人は、宝くじ1位が当たるなんて比べ物にならないほど自分はツイていると自覚した方がいい。どれほどそれがラッキーなことか。

 

年を取ればとるほど、そして子育てが進むほど親の気持ちが分かって、有り難いと思うのです。

 

というのは美しい。

まごうことなき美談だ。

本当にそう思えるのであれば、その環境は何にも代えがたい素晴らしいものだ。

絶対に守り大切に継承していく価値のあるもの。

 

けれども私は長男が生まれて16年子育てをする中で、今回の表彰イベントに象徴されるように、ことあるごとに親の下劣さを再確認し暗澹たる気持ちになってきた。

おそらく現在進行形でまだまだ出てくる。

ことあるごとに親をやっている視点から、彼らは何と下品な人間であったかと、頭を抱えたくなることが少なくない。

そしてそれは現在進行形だ。何故なら一人はまだ生きているから。

 

血の繋がった子供に向かってよくあんな汚い暴言を延々吐き続けられたものだとか、よくあんな人として最低限の敬意すらない、横暴な扱いを小さな子に対して躊躇なくできたものだとか。

 

 

私が彼らに対して抱く思いは『底なしの軽蔑心』。これが一番大きい。これは年々大きくなっていく。何故なら年々真相がハッキリと見えてくるからだ。

何と虚しいことよ。

そして大人になり色々なことを知れば知るほど、我ながら何という最汚染区域の救いのないドブに生まれてきたのかと、ホトホト呆れてしまう。

私よく生きてるよ、ホントに。

 

 

それでも最汚染レベルにカテゴライズされるドブに生まれた以上は、やはりそのドブに向かい合ってできるだけのことをし、寿命まで何とか生きるのみである。

子供たちにできるだけ汚染水の飛沫がかからないように細心の注意を払いながら。

 

しかしこういう健全家族の愛のキラキラを見ると、癒えたと思っている大きな傷が思いっ切りバリバリ手で引き裂かれてまた傷口開いたわ・・・みたいな、ある種『ドラキュラが日光にあたるとボロボロになる』アレの感じになりますね。

眩しすぎる。尊すぎる。羨まし過ぎる。

でも灰になりながらも最後まで生きなければ。

 

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

First Steps, Georgios Jakobides 1853-1932

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