昨日もチラッとだけ触れましたが、キングダム77巻出たー!!(大歓喜)

私がキングダム廃人になった時のお話はこちら。

いやもう最高ですよ、最高!
これは中国の戦国時代を舞台にした秦の中華統一への物語。
最新刊もとんでもない緊張感、緊迫感、お話の盛り上がり。国の先人たちや同時代を生きる人々の思い(それこそ念)の重圧に押し潰されそうになりながらも、究極の難し過ぎる選択を迫られるトップの感情吐露、表情表現と。

いちいち心臓バクバクしすぎながら惹き込まれすぎて最高すぎた。話の展開もスピード感も、いやもう最高。ほんとキングダム大好きすぎる。
これ読まずに死ぬなんて絶対にもったいないので、未読の方は是非!(熱)
さて。
破壊と創造。
分離と融合。
対になったこれらの概念は陰と陽の関係でありどちらも等価値です。どちらもこの世界が存続するのに必要。
当然私たち人間が人生を全うする中でも必要なもの。

破壊と創造と聞くと、何となく『創造』の方が良くて、偉くて、価値のあるものな気がしますよね。
でも創造が価値を持つためには、有効なアクションとなるためには、必ずその裏に『破壊』がなくてはいけない。両者は表裏一体でともに必須なのです。

アダムの創造 by ミケランジェロ
そしてどんな人も両方の面を持っているのだけれど
この人はどちらかというと創造の方に役割があるよね
この人は破壊担当でそっちを忘れちゃいけないよね
ってあると思う。というかあります。
大きく前進しようと思う時、大きく作らなくちゃいけない。
大きく作るには、まずこれまでの何かしらを壊さなくちゃいけない。
個人の人生でそんな時は必ずある。
社会という視点から考える時も、そんな時代は必ずある。
創造は承認されやすい。評価されやすい。
破壊は短視眼的な人に批判されやすい。
けれどもその破壊が衆の最大幸福への大前提となるのであれば、それを厭う理由はない。
厭っている場合ではない。
厭ってはいけない。

それは物質だけではなく、気持ちや価値観、固定観念、判断基準などといった目に見えないものに関しても同じ。
その中には人間関係も存在する。切らなければならない人間関係というものは、確実にある。
世の中何をするにも、風当たりの強い役割を負う人は生きづらい。けれどもそれをしなくちゃ当人もその周りの人たちも、社会も前に進まないのであれば、やるしかない。
そんなことを考えていました。
本日もお読みいただきありがとうございました。

これは多分魔除けの意味もあるであろう外壁のアート。2025年秋、パリにて。

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