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『あの人は選ばれた人だから』だぁ?

 

これも夫が作ってくれたベーコン入りのキッシュ。

底のクッキー生地?を極限まで薄くするのがコツらしいですよ。

美味しゅうございました♪

 


 

 

さて。

トップスターや政治家、大きな組織を率いる立場の人など難しい上の方のポジションを得て仕事をする人、社会で目覚ましい活躍する人を見て

ああいう人は選ばれた人だから

という言い方がなされますよね。

 

違うんだ、違う。

誰か雲の上にいる神様的な万能の、位の高い何者かに選んでもらって、許可を得てああなっているわけじゃない。

自分で選んでそうなってる。100%自らの決断によるものです。

 

私だって僕だって〇〇になりたい!自分で選んでそうなれるなら苦労はないよ!

って?

 

本当にそう?

 

算命学をやってよく分かるのは、生きて行く上で何かが飛び出るということは、その分何かが引っ込むということ。

芸術、学問、スポーツ、ビジネス・・・何かで極端に成功してトップを走り続けるということは、それと引き換えの代償もとてもとても大きい。何故なら人間としてこの世で生きるということには時間的にもエネルギー的にも限界があるから。

 

私だって僕だって〇〇になりたい!自分で選んでそうなれるなら苦労はないよ!

 

といとも簡単に言ってしまえる人は、そういった目立った活動をしている人の楽しそうで幸運な面だけしか見ていない。その裏でどれだけのことを諦め犠牲にしているかを都合よくスルーする。良いところだけ見ていいとこ取りしたい。

でも現実には、目標以外のことは全て手放してでも、人生を一点に全振りしてでもここで自分の限界に挑戦するのだと、その選択をできるのかが問われる。

 

そのつもりだしできるしやったけれど無理だった!

 

だからやめるのか。

(念のため言っておくと、やめるからダメ、続けるから偉いとかそういう話では全くありません。)

 

ぜっ

 

たい

 

 

これ!

 

を実現するためにどこまで石に齧り続けるか。これは言い換えると『どこまでその選択をし直し続けるのか』

 

どこまで?

 

殆どの人が見落としているめちゃくちゃ大事なことに 自分の魂の旅は今世が終わってもずっと続く ということがある。多くの人たちは死ねば自分は雲散霧消するとどういうわけか頑なに思い込んでいる。

この人生が終わって自分が完全に無になるなんて

そんな都合のいい甘っちょろい話がどこに転がってるんだよ?

全然分からない。

一体その発想はどこから出て来た?

 

まあそれはいいや。

 

我々の本来の居場所であるあの世に戻る → またこっちの現世に生まれてくる → あの世に戻る

というルーティンの中で自分は

  • どんな最終目標のために
  • 次の人生をどんな設定で過ごそうか

をそこで選ぶ。また選択する。

現世で一握りの “選ばれたように見える人” として生きることの選択は誰にでもできるけれど、同時にそこではそれに伴う苦しみも隅々まで見える。

この道を選ぶってことはこれこれこんなことも漏れなくついてきますよ。

それでもやるんですか?

をそこで突き付けられる。

殆どの人はここで躊躇する。だってその長い苦しい厳しい道のりが見え過ぎるほどよく見えるから。

 

でもそれで終わりじゃない。

その設定を選んで生まれてくるということは、より平凡なコースを選択した人たちより持って生まれたアドバンテージが高いということ。生まれて来た後、そのアドバンテージに胡坐をかいて自分は神に選ばれし者であると壮大な勘違いをし、今世は上手い汁だけ吸って生きよう♪と楽に流れてしまわないか。

 

ゴロゴロ過ごす人生もまた一興。誰も悪いなんて言ってない。

怠け者の天国 by ピーテル・ブリューゲル

 

ここでもやはり

トップを走り続け常に納得いく結果を出すために、そこに人生全振りしますか?本当に全振りするのですか?

が問われる。

というよりも生きて行く上で、毎瞬毎瞬選択を迫られている。

そしてその都度、最初の選択をし続けられる人。

それでもやるのか?それでいいのか?

にずっと Yes を突きつけられる人。

 

そんな人は殆どいない。

 

だから頂点で輝き多くの人を感銘させ続けられるというのはほんの一握りしかいないのです。

 

なので

あの人は選ばれた人だから

と “自分は神様に選んでもらえなかったからさぁ、ふーんだ!” とまるで被害者であるような意識を混ぜ込んだ見方はやめた方がいいのですよね。

 

さあそれでもあなたはあの憧れの人のようになりたいですか?

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

のんびりぼちぼちで生きて行くという生き方だって全然悪くはない。それも立派な選択。

Laid down woman, sleeping, 1899 by Felix Vallotton

 

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コメント

  1. 佳代さんこんにちは。

    そこは本当に考え方の違いになるかなとは思うんですが、
    私は生まれ変わり続けている(今の人生も引き継げるし活かされるから)こそ頑張れるところがあります。
    人生が終わって全てなくなってしまうという考えなら死ぬことももしかしたら怖いと思うかもしれないし、もっとやる気なく生きちゃうかもって。
    でも人それぞれ考え方がちがうところこそ面白いと、私は思うんですけどね。

    • 私も生まれ変わり続けるからこそ生きる希望を持ち計画も立てられると考えています。
      が、今期限りで終わりなんで~!としたい放題の立つ鳥跡を濁しまくりな生き方をしている人が多いな、と。
      もちろんそれぞれ考え方がバラバラでいいと思いますしその方が自然です。
      が、後は野となれ山となれ派は何というか『旅の恥は掻き捨て(悪い意味で)』とばかり周りを踏みつけにし倒して逃げ切ってやろう、それこそ人生の勝者!的な態度が見え隠れしてしんどいんですよね。

      • 佳代さん(の人生)の視点だからこそ書ける記事ってあると思っていて。そしてだからこそ私もついついコメントを書いていて。。。
        佳代さんの想いが響いているからこそ、きっとわたしも含めてコアな(?)ファンがいると思うんです。
        私も人生頑張ろうって思います。
        佳代さんの人生、応援しています!←なんか妙にあつ苦しくてすみません…!ラブコールと思って受け取ってもらえれば…!!!

        • お返事遅れてしまいごめんなさい。
          応援ありがとうございます、今後もマイペースで綴って行ければと思っております。

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