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『一緒に居て楽しい、話が合う』と算命学でいう相性

 

夫が焼いてくれた野菜のキッシュ。美味しゅうございました。

 

さて。

 

算命学でも相性を見ることができます。

しかし相性というと殆どの人は

一緒に居て楽しい、自然体でいられる、話が合う

みたいなところを想像なさるのではないでしょうか。

 

でも算命学で見るのはそこじゃない。違うな。

算命学で言う相性というのは、目に見えない部分。すぐには感じ取りにくい部分。

目に見えない運の型の組み合わせとして、夫婦として上手く機能しそうか

目に見えない運の型の組み合わせとして、親子として一緒に居てどうなのか

目に見えない運の型の組み合わせとして、一緒に事業をして発展しやすい組み合わせか

目に見えない運の型の組み合わせとして、師弟関係としてどうか

みたいなところ、長い時間をともに過ごす時互いの運の形がどう作用し合うかなのです。二人で、もしくは複数人で1つの運を形成するとした時に上手く機能して行きそうかどうか。

 

なので逆に言えば

目に見えない運の型の組み合わせとしてあまり(もしくは全然)お勧めでない組み合わせでも、両者の関心ごとが同じだったりすれば一緒に居て楽しいことなんて多々ある。多々あるのですよ。

 

一緒に居て楽しいのに、幸せを感じるのに実は命式を照らし合わせると長い時間の中で運は発展しにくいという場合。

 

さあどうする?

 

さあどうする?はご自身が決めて良いのです。いや、自分で決めるのです、ご自身の人生なのだから。そんな究極の大事な決定権をあっさり他人に委ねてはいけない。

 

今後の運の流れとして、相性は理想的とは言い難い。むしろ難しそうだ。

それでもこの人と是非結婚したい、一緒に事業をしたい、だから自分の感覚優先で行く!なのか

それほど強く互いを求める感じでもないから、じゃあ持って生まれた運の形の相性を優先で決めようかな、なのか。

 

私は

どう見てもこりゃあ運気的にしんどい組み合わせだろう

という夫婦を知っています。算命学的には縁はあるけれどまあお勧めとは到底言い難い。

けれども2人はずっと一緒に居ます。そして運は開けて行っています。凄い勢いで。

てことは算命学の相性は当たらないんじゃないか!ってことになるかというとそうではなく、その二人は互いにブレーキをかけあったり猛烈にぶつかったりととにかく『滑らかにふわっと運気が広がる』とは到底言えない組み合わせなので

2人ともめちゃくちゃ努力しています。

その努力がちょっと人間離れしているレベルで、です。

 

それくらいの覚悟があるなら、その道を選ぶのも全然OKなのです。そして相性のマイナス分も超えて行けるでしょう。

なので相性に絶対はない。

 

そして算命学で見る相性というのは上で書いた通り、一緒に居て楽しいとか話が合うとか、そういう短期的な視点での判断ではないということをちょっと頭の片隅に置いておいていただけるといいかなと思います。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

不似合いな二人、1522年 by ルーカス・クラーナハ

(私にはお似合いに見えるけどね・・)

 

実際、私が命の恩人だと敬愛してやまない楽器の師匠。彼女は私にとっては忌神ど真ん中ですのでね。それでも私にとっては本当に大切な人であり、心の底から尊敬する人。

魂の次元の高さは宿命の組み合わせにおける瑕疵を超えるのです。

(注:私ではなく師匠の次元が無茶苦茶高いということです)

 

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