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念の強さと持っているエネルギーの大きさ、エネルギーの使い道を意識しよう

 

皆さんこんにちは。

昨晩 夢の中で数人のパーティーに参加していたのですが、途中からおばちゃんが入って来るなりいきなりバッチーン!と背中を平手で叩かれて

あんた!ごっつい生霊ついとるわ!取っといたるからな。(←関西弁)

と言われました。

あのバッチーン!のリアルな感覚・・・痛いってばよ(笑)でも多分ホントにどなたかが取って下さったんだな。

 

しかしおばちゃんにそういわれた瞬間に

うわ。まだ憑いてたんか・・・・やっぱり・・・

と驚かなかったのですよね。あの執念深さは誰よりも私がよく知ってるので。

 

まあこれは夢の中の話ですが、思いって目に見えないだけで距離も時間も関係なく届くものです。

ただその強弱はある。

生霊なんて結構な念を送らなきゃそうはならないというものですが、念を送る、つまり誰かに関して何かをずーーーーーーっと思い続けるってエネルギーが必要です。エネルギーがないと出来ない。

執念深くあるにもエネルギーは必須ってことです。

これは体が弱くなってみるとよく分かります。本当に体が参っている時って息をするのもやっとみたいになり、とてもじゃないけれど誰かのことについて考える余裕なんてなくなるから。自分が生きることで精一杯な時、他人に念を飛ばす余力なんて残らないものです。

 

何が言いたいかというと、エネルギー値が大きい人は念を飛ばすエネルギーも人より大きいのです。強さもそうだけれど、継続する力がある。それも、本人は継続するつもりもしているつもりもなくとも、ごく普通に思う、その念が強い。そして無意識にその念を送り続けられる、だってエネルギー有り余ってるから。その結果気付いたら太く長く念を送り続ける、みたいなことになってたわ?という感じです。

 

体が弱くなると念を飛ばす余裕がなくなると書きましたが、体が弱くなくとも、余計なことを考える暇がないほど自分の人生に集中して全力を尽くしていれば、無意識に誰かに変な念を送って妙な生霊になったりはしません。

エネルギーが強い人ほどエネルギーの使い道に常に関心を向けるのはとても大切。どうせなら建設的な方向に力を使いたいものですよね。

そしてどうせ念を送るなら、誰かを思うなら、そしてどうせそれが相手に届くのであれば

相手が心穏やかに、嬉しいことが沢山ある幸せで充実した毎日を送っていますように

と良い思いを届けたいものですね。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

La Madeleine aux deux flammes by Georges de La Tour

 

本当に執念深く誰かの不幸を切望する人というのは、そのうち『何故そんなこと思っているのか、何のために』といった本質のところを忘れて、呪うこと自体が目的であり存在証明のようになってしまう。そうすると目に見えない、同じようなカラーの意識体が集まってきて乗っ取られるんだよね。乗っ取られるというよりも、本人がむしろ喜んで引き入れているみたいになる。

そんなまま今世を終えて魂が体から抜けたら・・・それこそ恨みや呪いに執着するホント良くない意識体=浮遊霊になって、最悪の場合似たようなあれこれとごったになった塊の悪霊みたいになる。

なので生きているうちのエネルギーの使い方って本当に大切なのです。

 

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コメント

  1. 初めまして。佳代さま。大変興味深く拝見させて頂いています。
    私、念と言いますか、思いが具現化されているのでは・・と勘違いしてしまうようなことが
    あります。単なる偶然の重なりか、気のせいなのかもしれませんが・・

    私の生年月日を見てくださいませんか。
    1979年5月4日の出生になります。

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