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虚と実の感覚の逆転

 

春ですね!私の好きなMagnolia/木蓮。

 

何となく昨日悟ったのですが。

私はこの世的なことが心底苦手です。それは知ってた。

でも半世紀以上生きて未だにこれってことは、多分死ぬまでこの世仕草に慣れないし、マスターしないのだろうなと。

問題は『マスターする気がない』ってことなんだよなー。

 

本日の暦。

 

私の命式にとっては

もうこれ以上は要らんねん、出てこんといて~

な存在で、運気の現象が常に前倒しで出る私は昨日ぐったりしていました。

こういう時って本当に脳がぼんやりするといいますか、自分の中身がダイレクトにあの世との境目にものすごい近付くのです。近い。近いぞ。

多分これはこの世に存在するものとしては極めて不自然な状態。言ってみれば(意図せず)微妙にルール違反。

なのでもう勘弁してくれというくらいしんどくて堪らなくなるのですが、そういう時にあっち側から流れ込んでくる情報というのが多々ありましてね。

 

でも多々ありながらも、それは湯気のようにほわっとかすかに表れ、その瞬間に捕まえて記録をしておかないとまた湯気のようにほわっと消えていく。毎度そうです。そういうのがいくつもいくつも。

 

 

じゃあその都度音声メモででも記録すればいいじゃないの

って話なのですが、何というかその気力が存在しないのですよ、こういう運気周りの時って。

ただ身体が疲れているとかそういうのとは全く異なる種類のダメージ。

 

算命学では便宜上、地位名誉財産人間関係仕事収入・・・などなどを現実と表現します。分かる、それは分かる。そうしとかんと混乱するもんね、ほぼ100%の人は。

でも正直 私の感覚では、この世自体が丸ごと虚構 以外の何ものでもない。

 

唯一なるものがあるとすれば、それは各自の心の中の感情や感覚。気持ち。

何故ならそれは未来永劫消えないから。発生したら必ず残る。なかったことにはならない。それらの経験、収集、蓄積のために私たちはこの世に送り込まれていると言ってもおかしくないほど。

それ以外のモノは全て消え去る。

 

 

つまりこの世的な虚と実の感覚が、私だけひっくり返っている状態なのです。

 

俳優がいる。

彼が舞台上でマクベスを演じる。

舞台上で彼はマクベスになり切るけれど、上演が終わればまた一俳優に戻る。

自分が一俳優であることを彼は頭の片隅に置いているし忘れない。

それだけの分別を持ち合わせていなければ、ただの頭のおかしい人になってしまう。

 

「マクベスは殺し屋たちにバンクォーを殺すよう指示する」George Cattermole (1800 – 68)

 

この世的世俗的な事象にどっぷり浸かっている人たちというのは、私から見ると

私こそがマクベスでありこれが現実だ

に成り切ってしまっている人たち。

自分が一俳優であることを忘れてしまっている人たち。

一時の舞台に、一時期のこの世という滞在場所に陶酔しすぎて真実が見えなくなってしまっている人たち。

特に人間に上下を付け、人を傷つけ蹴落としのし上がることこそ勝利で、それによって自分の価値が上がると信じ込む世界。

 

そんな状態を異常に冷め切った目で見てしまうのです。

いや、軽蔑しているとか上から目線でという話では全くなく、どう頑張っても私はそこまで陶酔できない。なり切れない。

常に 自分は一俳優であり、今のこれは全ての世界なのだ がベースになっている。

 

でもこの世ではマクベスになり切ったもの勝ちみたいなところがある。

もとは一俳優だなんてあなた頭おかしいんですか?あなたはマクベスじゃないですか!と。

もちろんそういう機会のために作られた世界がこの世。知ってる。

完全に役になり切って仮想体験をまるで本当のことであるかのように経験する、ロールプレイングゲームの場。

 

でも私はどうも苦手なんだ。

だって知ってるから。

 

という自分の性質を鑑みる時、何故私はこういう作りで生まれてきたのか?を考えざるを得ないのです。

何故ここまでマクベスに、従者に、強妻に、侍女になり切れないのか。何故。

何のためにそんな “常に冷めた目” をデフォルトで携える形で生きなければいけないのか。

 

そもそも “この世で現実的に逞しく生きる” のが苦手なことの言い訳として、テキトーなことを捻出してんじゃネーノ?

的な自己批判の視点もある。

けれども

では何故物心ついた頃から、その前にいた世界の記憶があるのか

に戻ってくる。

何故。何のために。

 

その他大勢とベースの感覚が全然異なるというのはなかなかにしんどい。何もかもがズレる。

このブログではできるだけ表に出すようにはしているけれど、それでも100分の1も伝えられてはいない。

私の頭の中の世界が丸ごとスクリーンに映し出されても、恐らく誰も理解はできないのだろうと思う。

 

 

私は何を経験しそこから何を得るためにこっち側の世界に来たのか。

果たしてこのままでいいのか。

これで死後『あれでよかったんだ』と思えるのか。

どうすれば死んだ後、後悔しないのか。

 

なんてことを定期的にぎゅーーーんと否が応でも考える機会として、なかなかに苦しい運気が定期的に周ってくるのでしょうね。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

窓、 Elena Yushina (Ukrainian painter, b. 1958)

 

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