もうね、この会場の雰囲気よね。最高。わたしがこういう雰囲気、大好きすぎてやめられないのお分かりいただけるでしょう。
そしてこの神の演奏。ここは天国ですか。(いえ、ベルリンです。)
さて。
上記のようにあれが好きだ、これが楽しい、あれも幸せなどと色々書いていますが、まー私もうじうじする時多いですわ。水性過多ですし午未天中殺ですしほら北に傾きすぎるので。
それでもそのうじうじをモロ出しにしても読者様にご迷惑でしょうし、できるだけ楽しいことを書くように心がけているわけです。これでも。まあダダ洩れのモロバレかも知れませんけれど。
算命学をやって行くとか、生活の中心で今最も大切なのは子育てだとか、そういうざっくりしたところに迷いはありません。ただそれらの内訳、個別具体的な進め方に関して「じゃあこれについてはどうする?」みたいなところはそりゃーもう大いに迷ったり葛藤したりしまくりです。
そんな時、判断基準を外側に求めちゃうとダメなんだ。それでいい人も多いのだけれど、私はダメだ。
じゃあ私は迷った時どうするの?って話ですが、基本に立ち返る。
基本てなあに?については
それを選択して死ぬ時後悔しないのか
なのです。私が戻ってくるのはいつもここ。必ずここ。
どれだけ死ぬ時に後悔したくないんだよって話ですよね。
でもいつかの人生で私は死ぬ時むちゃくちゃ後悔した。その記憶が薄っすらある。もう二度とこんな(周りにばかり合わせて自分自身を無視し続けた)アホらしい生き方はしないぞ!分かったか!?絶対に忘れるな、魂に叩き込め!と思ったよね、あの時・・・というのがね。
天報星持ちさんはあの世や前世の記憶がある、などと算命学では言われます。
私が天報星を2つくっつけて生まれてきて、あの世の記憶が物心ついた時からずっとあるのは、一つには上のような痛い思いを繰り返さないように。こう繰り返し思うということは余程のことだったのだろう。
あの世の記憶を丸ごと持ったままこちらの世界に生まれるのはルール違反だけれど、ごく僅かであれば例外的にOKというラインがある。そのほんのちょっとの記憶や、あの世と通じる通路を(太かれ細かれ)持って生まれてきた人にはやはりそれが必要である意味がある。それが今世で活かされる時が来ますよ、それを活かして生きると今世での目的の背骨に近付けますよ!というわけ。
私は生まれて来る前、今回の人生で何をしたかったんだっけ?
どうすれば最低限、死ぬ時に腹立ちが止まらないほど後悔せずに済むだろう?
そこのところさえ押さえていれば、現世で表面的に大きくすっ転んでも本来通るべき筋道から外れないから今世は成功だ。少なくとも後悔はしない。
その基本を押さえた上で「じゃあ具体的にどうします?」を考える時、初めて陽占が生きてくる。つまりここでしているのは命式以前の段階のお話。
でもやっぱりね。
そうやって自分の羅針盤を元に進むとどうしても「皆の言う○○」からはどんどん外れていく。そうなる宿命なのは分かっている。でもこれでいいのかと毎度思うわけですよ。
人間だもの(笑)
それでも自分を信じるの?どうなの?を凄い試されてる。ふぅ~。
なんと素敵な和洋折衷
川瀬巴水
本日もお読みいただきありがとうございました。
コメント