人生で一番欲しいものは全力で取りに行っていい、というよりも行くべきだと思う。どうしても叶えたい夢があるなら、そしてこれだ!ここだけは譲れないと分かっているなら、そこに全力投球すればいい。
この間誕生日を迎え、その日は同時に母の日でした。子供たちは誕生日ケーキを作ってくれたり、『 こんな家に皆で住めたらいいね 』の超高級車が何台も止まってる大邸宅の絵を描いてくれたり(笑)、夫は結婚19年経っても誕生日を忘れずでっかい花束を準備してくれたり、家族の存在のおかげで私はいま生きることができています。家族の存在は無限に大きい。子供たちが私のところに来てくれて本当に有り難いし、これが実現された流れに関わった全ての存在に感謝だなあとつくづく思います。
そんなことを考えつつ台所で作業しながら思い出すのは、結婚したかったけど出来なかったとか、子供が欲しかったけど出来なかった友人知人。私くらいの年代になると、そういう友人知人は何人も思いつくものではないかな?
(いや、全然マウンティング話じゃないので最後まで是非お読みを!)
今の時代、男女〇歳で未婚率は△%とか、仕事はこうしなければ生きて行けないとか、色々言われますよね。私の時代だったら女性の社会進出はカッコいいとか、男性は三高(背が高い、年収が高い、あと何か一つ失念)じゃないととかかな?そういうのは『 へ~』と聞き流すくらいでいい。そんなもの真に受けなくていい。
だってそれはあなたの外の基準だから。あなたとは何の関係も責任もない人たちがやんややんや♪お祭り騒ぎしてるだけだから。
その真っただ中に居てそれに関係あるように感じるかも知れないけれど、それは本当にあなた自身に関係あるのだろうか?とちょっと立ち止まって感じ直しても損はない。
そういう外の話は、自分の中に取り入れる許可を出した瞬間に自分と関係するものになる。そうでなければあくまであなたの外側の話。『 私は私なので!(ハイ、さようなら~)』と自分の道に集中すればいい。
というのもそういった周りの風潮を『 これぞ正解 』と真に受けすぎて、せっかくの自分の感覚を無視してしまったがゆえにチャンスを逃したのでは・・・という人を何人も思いつくからなのです。
結婚は絶対にしたい、でも今時の世間はこう言ってるから絶対にこれくらいのレベルじゃないと許せない、恥ずかしい。なのでその基準を満たす異性にこだわった挙句、適齢期にずっと不倫を繰り返すとか。
どこどこにいる以上〇〇の国の人と結婚した方が社会的地位がナントカで有利だからと手っ取り早く、寄ってきた親子ほど年齢の離れた〇〇の国の人と高齢結婚して、本来の目的は『 絶対に子供が欲しい 』だったのにもちろん(相手はまもなく年金生活なので子を持つ気はなく)無理で、結局婚姻も破綻・・など。
この歳になるとそういう『 目的ははっきりしてるのに何故そっちの道へ?』という事例をいくつも思いだせます。
そこに共通するのは周りの風潮を『 これぞ正解 』と真に受けすぎることなのですが、もっと分かりやすくいうと『 これくらいでなければ自慢できない 』という虚栄とか見栄 かなと思うのです。
プライドの星というと牽牛星、自意識の星というと天貴星とか禄存・司禄。その辺の星が自分を更に花開かせる原動力となって自分を磨き前進するうちは有効な使い方です。けれども現実がなかなか思うようにいかずそれらが暴走し始めると、感性・直感力の高い調舒星や自分の自然体を大切にしたい鳳閣星、「 自分はこうである 」を守っていきたい貫索星や石門星や冷静に考える玉堂星あたりがバランスを崩してしまう。天貴星が陰転して天胡星の妄想力が爆発し、現実が見えなくなる。そして宿命が本領を発揮し辛くなる。
周りはまあこんなこと言って盛り上がってるけど、自分はどうなんだろう?ともっと自分の心を信頼して集中してあげれば当初の目的は全然達成できたはずなのになあ、などとちょっと思ったりするのです。たらればを言っても仕方がありませんが、それが本当に『 この人結婚向いてたのになあ 』とか『 この人本当に子供が欲しかっただろうなあ 』という命式だったりすると特にね。この歳になると本当に家族や子供の存在がこの上なく重要でありがたくなるので、有り難さをしみじみ感じるにつけてそんなことを考えます。
ちなみにここでは結婚や子供の有無を例に書きましたが、『 結婚しないと!』とか『 やっぱり女性は子供を持たなくちゃね!』なんて話は 全然していません のでね、一応誤解なきよう書いておきますね。
それはどこに住むとか、どんな仕事をするとか、どんな形態で生活するとか、他の事柄でも全く同じです。まあ何となく・・・くらいのぼんやりしたものであれば、そこをゴリ押ししなくてもいい。周りに流されてみる生き方も全然悪くないです。( 算命学ではむしろ『 全部周りに流されていいぞ 』的な命式すらあります )。
上の例と反対も然り。私はこの人生では家族を持たず一人で仕事に邁進してどこまで行けるか試したい!と確信しているのに周りがうるさくてその圧力に負けてしまう、みたいなこともあるかも知れない。そんな分岐点で迷う時も、分岐点だからこそよくよく自分の本心と対話して自分で決めるのが大事ですよ。
自分で『 絶対にこれだ、これは人生で譲っちゃいけないところだ 』と確信を持てるのであれば、周りの風潮や言動なんて関係ないのだから、あとで後悔しないためにもそこに全人生をかける勢いで突っ走ればいいと思う。その内容がなんであれ、自分の人生にとって大事なことは自分にしか分からない、ってことは沢山あるから。
そして自分の確信と決断で責任を持って進んだ道というのは、後に当初の思惑とは違う方向へ逸れて行ってもそれが逆にいい結果をもたらしたりしますのでね。少なくとも『 あんな大事な人生の分岐点で何故自分の心に従わず無責任な周りの言動を優先してしまったのか・・』という後悔をすることは避けられます。
だってその自分にしか分からない確かな感覚、それこそが人生地図をもとにベストな形で進む羅針盤なのだから。その羅針盤は実は誰でも持っています。『 そんな羅針盤なんてうそだー!』と周りにやいやい言われ続けて、自分で見えなくなってるだけ。でも見えないだけで皆必ず内側に持っています。そしてそれは消えたりしない。それを使わない手はないんだよね。
海を越えて来た客 by 三柱異常干支のロシア人画家 Nicholas Roerich
本日もお読みいただきありがとうございました。
コメント
確か高学歴だったような?
懐かしいなぁ。
どなたが高学歴なのかしら・・・^^;?
あ、ごめんなさい!
三高の残りひとつです。
高身長、高収入、高学歴です。
ああ、その件でしたか!笑
ありがとうございます。そっか、高学歴ですね。