10月15日にセルマ・ブレアのドキュメンタリーが放送されるらしいですね。これ、凄く観たいなと思う。この予告編のセンスの良さよ。
彼女についてはこの間も少しだけ記事中で触れました。
この予告編を見て、2018年にMS=多発性硬化症罹患をカミングアウトなさって以降、こんなに症状が進むものなのか・・・と驚愕してしまった。
最近同じく女優のクリスティーナ・アップルゲイトさんもMS罹患を発表。
私はMSに特に興味があるわけではなく、このご両者はアップルゲイトさんの上のニュース動画にもチラっと出て来る『 クリスティーナの好きなこと 』という、これはもうはっきり言わせてもらうが見紛うことなきZ級の超駄作で共演していて、ブレアさんの方は「よくこんな役柄引き受けたな・・」というとんでもないシーンがあり、それで強烈に記憶に残っているのです( だからといってこの映画観なくていいですし、そのシーン知ってる人も言わなくていいです(笑)
それはともかくMSほどの大変な経験をしなければならないのは何故か。それは前もって分かることなのか。分かった上で避けられることなのか。やはりこういうニュースがあるたびに命式を見て考えるのですが、これはもうハッキリと分からないと思う。
算命学(や四柱推命)は万能であるとばかりに、選挙の結果や誰かの離婚、事故、病気などを 当てに行こう とする人もいますが、算命学はそういった個別具体的な現象を前もって把握するのには全く適さないものだと思っています。
きっと言ったことが当たって『 すごいですね 』と感心して欲しいのでしょうけれど、人の人生の根幹に関わることを賭け事のようにしてはいけない。
占いというと未来を透視するというイメージがあり、算命学も占いにカテゴライズされている。なので一般の人はどうしても当たる・当たらないを考えてしまうのだろうし、算命学を長くやっている人ですらついそっちに引き摺られそうになるのかも知れない。
もう一度言うけれど、算命学は未来予知には全く向かない。なのでMSにいつか罹患する命式などというものもない。以前『 性転換する人の干支は決まっている 』などと言っている人を見かけたことがあるけれど、そんな干支もない。
例えばセルマ・ブレアさんの方はかなり特徴的な命式で、運の上げ下げは激しい。今後もこの時期はきっと色々しんどいだろうから要注意だな、この時は平穏に日々を過ごせるな、など大雑把な枠を正確に読んでいくことはできる。
一方アップルゲイトさんは身強のごく普通命式。( とてもしっかり者の命式で、見た目のイメージと随分違うのでちょっと驚く・笑)。二人の命式の間にMSに関しての共通点などもない。
真ん中:セルマ・ブレア、右:クリスティーナ・アップルゲイト
人の生死に関わることについて、ちょっとした占いや何やの聞き齧りで分かった風な、いい加減なことを言ってはいけない。ちょっと体調が悪くなるとか、ちょっと周りの環境が変だとか、ちょっとかすり傷くらいの怪我をした程度であれば、それは天からの『 今の状況、ちょっと考え直してみたら?』のメッセージであることも多い。
けれども生きる・死ぬに直結することはそれとは全く別の種類の話になる。MSもそう、大きな事故や病気、不妊や死産、流産などの話もそう。
それをテキトーに『 前世で◎◎をしたから、先祖がこんな△△をしたから、あなたがこんなだから 』といったように、分かりもしないことを知った風に話し、それでなくとも凹んで弱っている人を更に弱らせ、自分は神の遣いにでもなったかのように振舞いくだらないコンプレックスを補おうとすることは決して許されることではない( 私がスピリチュアルが大嫌いなのはこの辺からです )。
たしかに体が弱いかも知れない命式はある。体のこの辺に出そうとか、この時期に注意なども分かる。強い命式でも運の上げ下げが激しいと、やはり運気的にフルボッコになっている時期は要注意というのも分かる。
大雑把な枠しか分からないというのはつまり、そこさえ押さえておけば後は自分で自由に決めて行ってOK、それで十分という意味。あとは人生自分で作っていくのですよ、ということ。
それが私が算命学を好きで信頼し、高く評価している理由。
算命学はオールマイティーではないし全てを見通す目でもない。予言ツールでもない。だって未来は開いているから。起こって来る大きな出来事で、何故なのか分からないことも多い。それはきっと何故かは分からないままでいいということ。何故かとつい考えてしまうけれど、それよりも起こった出来事に真直ぐ真摯に取り組み、出来るだけのことを後悔のないようにやり切って生き切ればいい。きっとそれで十分だし、それが生きるということ。
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