算命学では憑依されやすいタイプか否かを見ることができます。
でも憑依と言われると、あまり日常的に馴染みのない言葉過ぎてつい
怖い人もいると思うので画像小さ目
こういうの ↑ を思い浮かべてしまいませんか?
まあエクソシストの1シーンなのですが
で、その点私の命式は
『 憑依のことならお任せください 』
くらい憑依に最適な命式です。( 変な言い方だな )
でも、じゃあ上のエクソシストみたいになってるかというと、もちろんなっていません(笑)
経験もありませんよ。
こういう命式タイプの人は、いわくつきの場所とか、人の黒い想念が渦巻いているようなところは行かない方が良いのですが
私はそんな危ないところに肝試しとかも行かないしなあ・・
なので唯一心当たりのあるのはこの時
この記事にはほんの少しサラっとしか書いていませんが
この美術館訪問の後、もの凄く体が重くなって、しんどくなって動けなくなり
日本の神社で貰って来たお塩とお米で浄化した経験があります。
後から思えば多分あそこに、中国での大地震の犠牲になった子供たちの名簿一覧、および現場の学校の建築資材が展示されていて
その辺から沢山くっつけて家に帰ってきたのではないかと。
ところで
私は霊感がないので分かりませんが、霊が見える人は皆同じものが見えるわけではなく
自分と同じレベルの波長とか、同じような性格、カラー、つまり 同類のものしか見えない と聞いたことがあります。
で、この間ふと気付いたのです。
例えばこのウィーン国立歌劇場管弦楽団のオペラを見た時
もの凄い感動してじゃぶじゃぶ泣いたと書きました。
そしてこのコンサートに至っては
上のシリーズ記事に書いたように、完全に異次元に繋がった状態になってました。
私が。
こういう時、自分ではコントロールできないほど体全体と言うか自分の存在全体が反応しすぎて、普段とは全く異なる状態になります。
一方、ではクラシック音楽ならいつもそうなのかというと、例えばこの学長のコンサートでは
あまりに私とカラーが違い過ぎて、サイドの上の方の席からオーケストラを見下ろしながら
あの後ろの方に座ってる管楽器や打楽器の人たち、出番より休憩の方が長いよな
私やったら休憩中くしゃみしたり楽譜をうっかりばしゃーん!と落としたりしてしまうわ
何なら居眠りとかしちゃって次の出番忘れるやろなあ
そんなことにもならずちゃんと出番には役目果たして偉いなあ
とか空想し始めて、音楽に没頭するどころの状態じゃなかったわけです。
これやわ。
これが憑依の一種やわ。
感動というのはつまり、自分と本質的に同じ種類、カラーの何かに激しく同調してしまう状態で起こって来る感情の激震であり
同じところに共振・共調してしまう。
同じ弦楽器を複数並べて置いておいて、一つの楽器の開放弦一つを鳴らすと他の楽器の同じ弦も共振する、あれと同じ。
その共振の感受性の高さ、精密度が高いということが恐らく憑依なのだろう と思います。
これって HSPの特にエンパスの人の特徴が、特定の方面で強く濃く出る状態 とも言えます。
クラシック音楽というのは言語と同じで、長く携わるほど深く隅々まで掴めるようになるもの。
私は小さい頃からやっていたので、この憑依体質が特にこの分野で出るということなのでしょう。
だから同じ命式の人でも、長く絵に携わる人であれば絵画で共振し、その分野は演技でも舞踊でも何でも可能性がある。
そこに表現者の魂とか心とか、本質が強く凝縮するような場面では、そういうことが起こり得るということです。
そしてHSPやエンパスの人は( エンパスはHSPに含まれると思うが )、自分と異質のものまで勝手にキャッチしてしまいますが
自分と同質のものには特に激しく同調して、大きく影響を受けることがある。
まさにそれが憑依なんだろうな、と。
なので 憑依タイプ と言われても、決して上のエクソシストの女の子だけがそれではないということです(笑)
怖くはないので、こういうタイプの人はこの感受性の高さを上手く人生に生かして行けるといいですね。
余談:ちなみに上の美術館では、阪神大震災経験者の私は地震で亡くなった子供たちに無意識にかなり感情を入れ込んで、閲覧していたのです。
怖かっただろうなあ、辛かっただろうなあ、痛かっただろうなあ・・とかね。そういう同種の感情というのは向こうからもツーカーで見えるので、そりゃ寄って来ただろうなと。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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