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算命学で考える結婚

 

フランスの画家 Paul Gauguin/パウル・ゴーギャンはブルターニュ地方に5年間住んでいたので、その風景も沢山描いています。

Breton Women at the Turn, 1888 Paul Gauguin

 

でも今日起きた瞬間にいきなり

彼のブルターニュの絵には紫陽花がない

と気付きましてね。ブルターニュと言えば紫陽花というくらい目に入らない方が難しいところなのに。

 

もしかして当時はそこに紫陽花がなかった?

と思い調べてみますと、なんと元は1820~1830年あたりに日本の紫陽花がヨーロッパに持ち込まれたらしい。それがブルターニュで広まったのは20世紀はじめとか。

だからゴーギャン(1848~1903年)の絵には出てこないのだな。

 

そっか~日本のなんだ~!

 

となんだか嬉しくなったのでした。

 

 


 

 

はい、算命学で考える結婚について。

以前にも書いたかも知れませんが、大事なことは何度でも繰り返し書きましょう。

 

男性が女性にプロポーズするということは、結婚を通して女性の運命を貰うことになるのを忘れてはいけません。その頂戴した運命(エネルギー)を自分のものとし人生に生かしていくこと。

結婚前に何か願望があってもいい。

その願望達成に向かいながら、尚且つ相手の運命にも責任を持たなければならないのであります。

つまり自分を貫き、同時に相手のために生きるということが大前提になるのが本当の意味での結婚なのです

注:これは男女が入れ替わっても同じことです。

 

他人のために生きたくない人は自分の運命も他人に分け与えたくない人なので、他人の運命も貰ってはいけません。もし貰う一方であれば、運命の中に矛盾が生じるのです。(高尾宗家)

 

運命世界でジャイアンを地で行ってはいけない。

 

「俺のものは俺のもの~♪ お前のものも俺のもの~♪」

 

もしそんな進み方をすれば運命の消化不良が起こります。

その消化不良も、欲張りジャイアン本人に直撃するという単純な構造であれば分かりやすいですし、自業自得だよね~で終わります。

けれども例えばカール・マルクス一家のような形で周りの人に惨劇が降りかかることは多いもの。

「資本論」の経済学者カール・マルクスの寄生虫っぷりとその娘の散々な人生(1)
彼のヒモ&カスっぷりが存分に明かされちゃっている記事より。この時代、白人男性圧倒的優位社会においてこれだけ恵まれた環境で育ったにもかかわらず、自分の食い扶持すら稼げないお粗末な人生を送った人。家族を養うなんて夢のまた夢。

 

自分は思う存分社会で能力を発揮し、成功の果実をもぎ取るのだ。だからお前ら協力しろ!てかオレ様は男なんだから家族に立ててもらって好きにさせてもらって当然っしょ?

というのであれば、その過程でも、成功の暁にも、そしてその後も、有形無形の両面において “人生を捧げて協力してくれる” 周りへの還元は絶対に忘れてはいけない。

やってもらって当然だと思ってしまっては、いくら地位名誉財産を獲得できたとしても、人としては何世代にも禍根を残す腐敗したドブを作り出しただけの最低レベルで終わってしまう。

 

もし真にやりたいのならば自分一人でやればいいことで、最初から結婚しなければよいのであります。(高尾宗家)

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

しかしそれにしてもこれは一体どんな事情のある結婚なのか。

The Wedding of the Bohemian, Munch Seated on the Far Left, 1925 by Edvard Munch 

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