ジブリ美術館ってあるじゃないですか?
あそこのチケット、10月分は9月10日から発売で張り切って予約するつもりが・・一瞬でSold Out!いや、人気があると聞いてはいましたがここまでとは。
海外からの予約枠みたいなのがあってそれが少ないのかな?
と思ったのですが、あまりのチケットの取れなさに『外国からの購入枠優先で国内購入はかなり制限されているのでは?』と逆パターンで疑惑を持っている人がいたので、そうでもなさそう。
はい、皆さまこんにちは。
というわけで当方、10月の秋休みを利用して一時帰国をするのですが今回は家族+義父(ドイツ人元軍人)もいっしょで!
義父は日本初上陸を大変楽しみにしておりまして
日本に行くまでに日本語を50単語は覚えるぞお~
と張り切っております。
その義父から子供たちにジブリ美術館いいんちゃう?と提案され、チケットの取り方がよく分からないというので『ほな私がやっとくわ』といっていたのですが上記の通り玉砕。
その一時帰国中に算命学的お茶会を開催しようと思っております。
ご興味おありの皆様はこちらをご覧ください。
今回はそういうわけで家族がおりますので、1対1の鑑定は一応募集をかけようとは思うのですが、とても枠が限られると思います。
そのうちお知らせいたしますので、ぼちぼちチェックしてくださいね。
さて。
書きたいことが沢山ありすぎて何から書きましょうか。
西太后関係にしましょうか。
泣く子も黙る中国三大悪女の1人、西太后。
西太后さん、スーパー才色兼備で清の咸豊帝(清の第九代皇帝)の側妃として17歳で紫禁城に入る。
来ました、乙丑。
だから優秀やって言ってるやん、乙丑。
この西太后さん、21歳で同治帝という男児出産。
ああ。
大変ですね、という命式。
こういうのを見るとつい
真ん中天剋地冲くる大運の時、横一列に冲動系が並ぶけど、大丈夫だったん?
と思って見てしまうわけですが、そこに辿り着くまでもなく年運で冲動系が3つ並ぶ18歳という若さであっさりご逝去。
母方の因縁背負ってるわぁ・・という命式なのですよね。そして横一列に並ぶエキセントリックな母親。現実世界がエキセントリック母ワールド一色とも読めるこの形。庚辰と強そうながらも天印×3で何とも矛盾多くしんどさも垣間見えます。
一応天然痘や梅毒が原因で死亡とされているようですが、西太后に●されたのでは・・という説を取っている専門家も多い模様。ああ、気の毒すぎる。
西太后といえば、夫が寵愛していた麗妃を夫亡き後四肢切断、酒壷に放り込んで眺めて楽しんだ話が有名ですが、麗妃さんの生年月日は不明。
その後今度は甥の光緒帝(当時4歳)を担ぎ出し摂関政治的システムを構築していく。
可哀想なマリオネット皇帝
この甥っ子さんの光緒帝は母親が西太后の妹だったらしいのですが、難しいよね。家から出て、別の家系の流れに入って生活するといいなあという人だけれども、叔母だと難しいんだよ。離れなアカンやつ。などといっても権力欲に目が眩んだ最高権力持ちの頭キレッキレの叔母に逆らえるわけもなく。
でもまあこの光緒帝はいいわ。
この人はとっても華やかでパッと目を引く人だったでしょうね、というくらい。
この光緒帝の側室に珍妃がおりまして、光緒帝は彼女が大好き。この珍妃もまた才色兼備の社交家。見てみる、とこれがさもありなん!という命式なのですよ。
右の女性、本当は珍妃ではないという説もあるが真偽は不明
この珍妃さん、大変優秀で西太后と話が合う。
しかし彼女が政治に興味を持ち始めると途端に西太后は危機感を抱き、彼女の動向に目を光らせるようになる。
では見てみましょう、珍妃さん。
はい、ドン!
きた・・・乙丑の日干支が西太后と律音同士。
しかも彼女は五宮同均で生まれながらにオールマイティーの人。
しかも真ん中が石門+天将とまさに政治家の器。
この命式だと派手さはなくともどこでも一目置かれる存在感の大きな人だったでしょうね。
西太后も馬鹿ではない。そりゃあ危機感を募らせたでしょう。こんな優秀な人材をこんな宮中の真ん中に置いておいてはいけない。
嗚呼。
そして光緒帝と珍妃さんは時代の流れを読み、西洋の風を中国に取り入れようと考えていた。
それに大反対だったのが西太后。両者大衝突。
光緒帝と珍妃さんは西太后を幽閉しようとする。
しかし逆に幽閉されてしまう。
その後西太后は自国の軟弱さも顧みず西洋諸国に宣戦布告し北京はバチボコにやられてしまうわけですが、まだ存命であった光緒帝と珍妃さん。珍妃さんはこの期に及んでも祖国を憂いていたのでしょうね
今なら講和条約を締結できる
と西太后に政治的意見をしたものだから、西太后の逆鱗に触れ・・
井戸に投げ込まれ、更に絶対に助からないように大きな石を投げ込まれる。享年24歳。若っ!
ちなみに
光緒帝に親政を意見したため、スパイの報告を受けた西太后は逆上。親不孝という理由で虐待され貴人へ身分を落とされた。『国聞備乗』によれば1894年10月28日、懐妊3か月であったにも拘らず西太后から廷杖(裸での棒撃ち、肉体刑の中で最も重い刑罰で死亡する場合も少なくない)を被って滅多打ちにされ全身が痙攣する人事不省に陥り、加えて珍妃付きの宦官や女官数十名が殺害された。
その後出産の記録が見えず「清宮医案」では婦人科の障害があったとしている。(wiki)
宮廷モノのドラマってどの国のもえげつないですよね。
この間ベルサイユ宮殿に行った時も
当時の最先端のありとあらゆる贅を尽くし、宮殿も庭も巨大だけれど、閉塞感がものすごいな・・・こんなところには住めない
と思ったものです。
珍妃みたいな(命式や育ちの流れなど)どう考えても優秀でこれからという人が、歴史の海の藻屑となって能力を発揮できずあっさり消えていくのを見るのは辛いですね。なんだか愛新覚羅溥儀の奥さんのことを思い出しました。
当時は女性に人権なんてありませんから、本当に生き辛さは半端なかったことでしょう。特に有能でエネルギーも強い女性におきましては。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ちなみに光緒帝(珍妃の夫、西太后の甥でマリオネット皇帝)は
吐瀉物、遺骨が特に高濃度であった残留状況や文献記録などから慢性中毒ではないとして委員会は2008年、光緒帝の死因は急性胃腸性砒素中毒であり毒殺されたものと結論付けた。
西太后さんさぁ・・・
この女官たちも心なしか震えあがっているように見えますね。
コメント
若く聡明な分、世の中が、見えていた珍妃。賢いはずなのに、都合の悪い真実が見えていなかったか見て見ぬふりをした西太后。激変の時期に、将来活躍したであろう人材を失うのは惜しいですね。どなたかが、滅びる王朝や名家ほど有能な子供が死去したらして跡をつがないと仰ってました。西太后も、珍妃のいうことを聞いていたら王朝も残っていたかも。珍妃も嫁がなかった方が幸せだったのかもしれませんね。
女性に人権のなかった時代、生むマシンとしてしか価値を測られなかった時代の話は見ていて辛いです。嫁がなければ嫁がないで、自活も難しかったのではと思います。
紫禁城って未だに色々な念が籠っているかも知れませんね。
うわー嬉しい!
佳代さんが西太后取り上げて下さってる!
日中合同作成ドラマの蒼穹の昴オススメです!
ブログの中にベルサイユと出ていますが正に中華版ベルサイユのばらです!原作は漫画じゃなくて浅田次郎の小説です!
西太后を日本人の田中裕子さんが演じていますよ〜
また、もし落語を鑑賞されるなら鈴本演芸場の中席がオススメです
昼夜どちらのトリも実力派ですよ!
田中裕子さんの西太后があったのですね!田中裕子さんといえば庚申・・・なんかぴったりですね(笑)
落語も1度はナマを体験してみたいものです。情報ありがとうございます。
愛知県にジブリパークというものができたのです。なかなか良いらしいです。
いつかまた来日される際はぜひ・・・。
(勇気を振り絞り…)愛知県でも茶話会をお願いしたいです。
岡崎市というところに会場を用意いたしますので…
ジブリパークはまたジブリ美術館とは別物なのですね!
愛知県には仲のいい友人がおりますので、そのうち是非寄らせて頂きたいと思います♪