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智徳の大事な使い方

 

お茶会します。お席まだございます。

2024年10月 算命学的茶話会in東京 お申し込みフォーム
算命学的茶話会in東京のご案内動画です。未視聴の方はまずはご覧ください。 お申し込みフォームはこのページの一番下、緑の枠で囲ってあります。 2024年10月 算命学的茶話会 in 東京、日時(各回4名様まで)  10月19日(土)13時~1...

 

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スポーツをするとその晩よく寝られます。

がっ!

最近週に3~5回家でエアロビをしておりまして、昨日なんかストレッチ入れて1時間半もやっちゃいましてね。最初面倒だなあと思っていても、いざスタートしてしまうと『もっと行ける、まだまだイケる』となって続けてしまいます。

そして遂に1時間半運動しても、夜普通に目が覚めるくらいに体力がついてしまいました。(何その判断基準)

 

そういうわけで私の目下のそして唯一の心配事は長生きしてしまうかも知れない!ということ。だって異常に健康だしバランスの取れた生活をしておりますし。健康を害するような習慣(酒、たばこ、薬物、夜型、運動不足、寝不足、ストレスなど)が足りない!圧倒的に足りていない!でも長生きだけはイヤなんだ・・・

なので友人には頻繁に

私はあと一桁年数しか生きませんからね!!

を豪語&断言しております。

そして『あーはいはい、分かった分かった。そんなん言うてる人に限って長生きするねんよ。』と軽くあしらわれるばかり。

 

なんたって私、こちらでもしょっちゅう書いているように来年波平と同級生になります。波平ともなれば、多分もう同年代でこの世をさっさと卒業してあの世に帰った人もいると思うのですよね。ああ羨ましい!さっさと卒業なんてどれだけ優秀なのだろうか。そして何故私はまだ生きているのだろうか。

解:まだまだやり残した課題が山積みだからである。

 

それはともかく、最近同じ波平アピールをしている人を見つけてびっくりしましてね!

ロックフェスだから多分音楽の人なんだな。ていうかもしかして台風の中、体にダクトテープ巻いて歌う人?

 

私も来年の誕生日にはこのポーズで写真を撮ろうかな。

 


 

 

さて、進次郎発言。

小泉進次郎『年金は80歳からもらえばいい』”健康寿命”を無視した過去の発言が話題に…ネットでは「単純すぎてなにもわかってない」「感覚が違いすぎる」の声

 

「奨学金だけではなく私は教育のあり方を変えたいと言ったのは、大学に行くのがすべてじゃないです」と発言。「これからの時代、求められているところはいっぱいある。きょうも和倉温泉、加賀温泉、旅館やホテルの関係者と意見交換した。今、日本食の料理人さんの数が足りなくて困っています、旅館とか。そういった手に職をつければ大学を出てからの所得と遜色なく稼げるようなキャリアが今は作れる」とし、「教育の多様化、高専の強化、こういうことも抜本改革でやっていきたい」と語った。msnニュース

 

坊さん
坊さん

純粋培養の生むカタストロフィ・・

という感じでしょうか。

自分は全く何の擦り傷すら負わない安全地帯から『痛みを伴う改革』などとほざきつつ日本経済をぶっ壊し、長く続く就職氷河期&不安定雇用の拡大を一気に加速させ、多大な痛みを国民に負わせ続けた父の息子。生まれてから死ぬまでどう考えてもお金にまったく困らない人生で、本人の中身がどうであれ家系のパワーで最上級国民ポジションは一生安泰な人生。

そんな純粋培養に、死ぬか生きるかの瀬戸際で最大限能力出し切って、それでも人生ままならなくなる不安や、実際にそうなってしまった人の絶望感など想像できるはずもなく。いや、そもそも興味なんて本気で持てるはずもなく。所詮他人ごと。

 

なのに次期首相なんでしょ?

あれだけのことを引き起こしたこの方の親父のことも、未だに実態を把握できず『小泉さんは素敵でよかったよね~』とか言ういい年の大人、いっぱいいますものね。戦慄するわ。

で、進次郎も素敵なんでしょ?それだけで推しちゃうんでしょ?嫁も有名だし?

 

いやいや、私は日本で年金払っていないので何も言う権利はございません。呆れてるだけ。

ただ何の心配もなく家系の太さだけで、テキトーにしてるだけで人生楽勝モードちゃんに、そこからかけ離れた状態の人間の生活や人生なんて分かるわけがないとは、多くの方がぼんやり思うのではないかな。

 

その辺は目に見える部分なので、そう思う人がいてもおかしくない。

けれども私がよく思うのはね、一般の人には見えない部分。算命学やってれば見える部分。

たとえば(これは進次郎じゃないけれど)命式であれもこれも揃ってる人がちょろ~っと何かやってみてちょろ~っと上手く行っただけで、何某か分かった気になって偉そうな口を叩いているのを見た時。

 

五宮同均で異常干支なし、三業干支なし、最身弱でも最身強でもなく宿命中殺もなし、三柱全部普通干支で破法が重なるでもなく、めちゃくちゃバランスが取れていて大変この世で生きやすい作りのそのアンタの命式を棚に上げて、さも自分で頑張りましたヅラしてなーにを偉そうに言うとんねん

そんなもんできて当然なんだわ

出来ない方がおかしいのにいい加減気づけよ

 

などと密かに荒ぶる時がございます(笑)

 

そしてそういう時に思うのが、算命学でもよく出てくる経験を積んで広い視野を持つこと

例えばとてもエネルギーが強い命式の人は、自分が周りの人たちよりもどういうわけかパワーに満ちてるな?ということに気付くものです。アホでなければね。

それを

俺様・アテクシはその他大勢と違って偉いのだ

と選民思想的に自己陶酔したまま突っ走るのか

どうも周りの人たちは自分ほどはエネルギーがないような感じがする

そういう人たちの日常や人生はどういう感じなのだろう?

と思って人と接する中で謙虚に学んで行ったり、文学作品や学問的資料を紐解いて知見を得たりして全く別の視点を身につけようとすることはできる。たとえ印星(龍高・玉堂)がなくとも、それくらいのことを身につけようと意識を向けることはできるものです。

 

五徳(仁義礼智信)の中の智徳の一番大事な使い方ってここでしょ?

と私は思っている。

 

ジュゼッペ・アルチンボルド『司書』1566年

 

他人を100%理解できると思うことは烏滸(おこ)がましいけれど、知恵と創造力をとことん使って

もし自分がこの人であれば

と相手の立場に立って考え、社会を見て行動することはできる。少なくともそこに努力するのは人として大事だよなあと思うのです。

 

これは上の例のようなあからさまに生きやすい命式やエネルギーが強い場合だけではありません。

習得能力が明らかにとびぬけた作りの人

守備能力が明らかにとびぬけた作りの人

伝達・表現能力が明らかにとびぬけた作りの人

人付き合い、お金稼ぎの能力が明らかにとびぬけた作りの人

行動力・前進力・闘争能力が明らかにとびぬけた作りの人

周りを巻き込む能力が明らかにとびぬけた作りの人能力が明らかにとびぬけた作りの人

既存の何かを壊して一旦更地にする能力が明らかにとびぬけた作りの人・・・

いくらでもあります。

どんな人でも何らかの能力が明らかにとびぬけていたりするものです。

 

そんな時、そこに胡坐をかいて周りのことは他人事、どうでもいいわ~となるのか、その飛び出た部分でそれが苦手な人の分まで活躍するのか。その視点を持てるのか。そもそもその必要性を感じ取って、別の視点で見ようとできるのか。

その辺で人間って分かれてくる気がしますね。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

秋だ。本を読もう。

Still Life with French Novels and a Rose, Autumn 1887 by ゴッホ

 

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