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「一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠りどころである (オスカー・ワイルド)」 ってそうなの?の話

 

一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠りどころである

(オスカー・ワイルド)

 

面白いよね。

こういう言葉からもうこの人が命式に何を持ってるか分かってしまう。

 

 

彼がこう言ったからといって一貫性をモットーに生きている人がおよよとなる必要もないのですよ。だってこれは『この人には』真理であっても別の人にとってそうとは限らない。真理は人の数だけあるからね。

 

ちなみに彼がここで言う『一貫性』とは無変化とか、同じことをずっとしてるとかそういうことだと思うのだけど、彼は変転変化の必要な人。変化がないと人生が前に進まない。生きている感じがしない。「私は一体何をやっているんだ」感に苛まれる。

 

しかし、ですよ。

主星は貫索。西にも貫索。ということは一貫している方がいいという性質も濃く持ち合わせる。

矛盾してるじゃん、じゃあどうするの!?

にはちゃんと解決があります。ここでは言いませんけれど(笑)

 

大抵の人は宿命の中に矛盾を抱えているものです。その宿命、矛盾を生き抜くのが人生。

言い方を変えると、矛盾に内包される2点を両立させることができる道は必ずあるということ。だからこそそういう宿命で生まれてきているのだから。それを探す。生きていく中で感覚として掴んでいく。

でも算命学を知っているとそこがちょっと近道になる。

 

他には

若い頃は金が一番大事だと思っていたが、年とって分かった。やっぱ金だわ。

 

これもすっごく彼の命式らしいのですよね。

超現実重視。

目の前の日々の生活が確実に成り立って行くことこそ最重要タスクであり最も価値のあること。

それ以外の全ては二の次。

 

この方は

 

アイルランド出身の詩人、作家、劇作家。 耽美的・退廃的・懐疑的だった19世紀末文学の旗手のように語られる(wiki)

 

らしいけれど、そうでありがなら夢物語を追求していればそれで幸せというタイプではなく、そのような活動をベースに

目の前の日々の生活が確実に成り立って行くことこそ最重要タスクであり最も価値のあること

第一義!なのですよね。

 

本当の意味で生きているやつなんか殆どおらん。

大抵はただ存在してるだけや。

 

どんな生き方をしていようが、現実世界を大事にしようが無形の世界を大事にしようが、人が行きつくところはこの世の中で「自分として生きる」の命題に尽きるのだと思う。

自分とは何か。

自分を生きるとは。

それをどんな形であれ貫徹するところに

我が人生に一編の悔いなし

は可能になる。

それ以外に大事なことなんてない。

そしてこれが難しい(笑)

 

幼少期は女子を欲していた母によって女子の格好をさせられていた(wiki)

 

とのことだけれど

お前はお前のままではダメだよ、受け入れないからね

というメッセージを心の柔らかい時期に受け取り続けなければならないのは想像を絶する苦しみだろう。これは生涯に渡って彼を苦しめたはず。性別のような生まれ持って容易には変えられない(今はまあLGBTとかありますけれども)属性を実の親から遠慮なく厚かましく否定されるのは拷問のようなものだ。その憤懣遣るかたない思いを犯罪ではなく芸術に昇華できたのはさすが貫索・天禄だと思ったり。

 

なんて書いていますが、私まだ1作品も読んだことないのですよね。

時間ができたら読んでみよう。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

ちなみに “ 耽美的・退廃的・懐疑的” ってこの間記事にしたオーブリービアズリーみたいねと思ったら、彼がオスカー・ワイルドを描いたものがありました。

オーブリー・ビアズリーによる似顔絵

 

早逝したオーブリー・ビアズリーという庚子の完璧主義者
どこまでも細かく緻密で完璧で、The 調舒星!!という感じが最高ですね。それも庚子の【調舒星+天極星】。めっちゃ【調舒星+天極星】という感じがしますよね。うん、するする。

 

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