①
外のコンパス 算命学
内のコンパス 感性・直感
はそのまま。
算命学は学問、知識、知恵という無形の世界に属すものながらも、やはり学問という形になっている、私視点では有形のもの。そして私の外側から来るもの。なので生きる指針となる外側のコンパス。
対して直感、感性という自分の内側から湧いてくるものは、内側のコンパス。
両方必要。
②
誤魔化し
これはここでメモが途切れていて・・・何だったかな?(笑)
多分、内に内にとことんまで潜って奥底にあるものに対峙する、対峙し切るという本丸攻略から目を逸らして、可視化できる分かりやすい有形物質世界での功績なんか求めるな。誤魔化しても結局そこに戻ってくるんだぞ!ってことだわ。
③
有形が隆盛 有形が鎮静
無形が充実 無形が欠ける
全ての運気というのは万物流転の法則通り常に揺れ動くもの。単純化すると株価のように上がったり下がったり。そしてそれは一生の中でそうであるように、家系の流れという一つのまとまりの中でも同じこと。
つまり家系の中でも有形物質世界で隆盛な人生を送る人もいれば、鎮静化した人生を送る人もいる。
無形の世界、つまり精神面が充実し幸福感を得る人生を送る人もいれば、そちらは欠けがちな人もいる。
それは絶対的ではなく相対的な話。
家系の中でそういう係の人として、そういう状況を経験する役割を持って生まれてきたということ。
④
外に出てばかりでなく うちで充実せよ
上に書いたような、私の壮年期・晩年期にエネルギーが少ないとか、内の世界(家の中)で山のようにやることがあるとか、仕事に全力投球するために子育てや家のことを誰かに丸投げする気は全くないこととか、その他諸々ありとあらゆることには意味があって、それはつまり
私は外の世界、有形物質世界で家系を盛り上げる係ではない
ということ。
私の主戦場は外じゃない、全然違う。もっと内側に内側に潜れと。
外を見ている限りそこには辿り着かない。
でもやるべきことをやって責任を果たせば(具体的には家系のドブ掃除ですな・・・)、それに比例して外の世界が二次的効果としてどーんと充実・拡大するというパラドックス。
⑤
私だけの身体ではない
私は子供を産むまで
この身体は私だけのものではない
私の身体を通ってこの世界に生まれてくる子が3人上で待機しているから、少なくとも3人が生まれるまでは彼らの健康のためにも私が完全に健康でいなければ
とずっと思っていました。
でも今世において家系の流れでの責任を果たし切るには、それに必要なだけの気力体力が必要。ってつまりそれって相変わらず私だけの身体じゃない、ドブ掃除完了ツール的な意味があるから(字面にするとすごいな・笑)、やはりこの体も預かりもので責任をもって役目を成し遂げるまで大事にしなくちゃいけないってことだなと。
総合すると
なーに外ばっかり見てんねん
もっと内側を見つめんかい、内側を!
ということでした。
いや~私ってうちに籠りすぎ??もっと外に出なくちゃいけないんじゃない?
と思ったりしていたのですが、まだまだ全然足りないようです。逆でした。
あの時の問答の感覚、質問を投げかける前に既に即答がスマッシュヒット!問答無用!みたいな感じで疑いの余地なし。いつもあれくらい分かりやすいといいのになあ。
嗚呼。
はい、もっと自分に集中します。
本日もお読みいただきありがとうございました。
一人沈思黙考中
オディロン・ルドン『不思議な花(子供の顔をした花)』1880年
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