陽転しなければ生き甲斐には繋がりません。
というのが高尾宗家のご著書のどこかにありましてね。どこだったか見失ってしまった。
陽転というのは算命学の用語で、宿命や持っている星をあるべき姿で最大燃焼できている状態のことを言います。
上の言葉
そりゃそうちゃう?
と何となく思いますよね。パッと聞くとね。
そしてそりゃあそうですよ。陰転してるのにいきなり生き甲斐に辿り着かないでしょう。
で、陽転している時と聞くと、調子がいい時が頭に思い浮かぶものです。
いぇ~ぃ♪
仙厓義梵『指月布袋画賛』江戸時代
でも自分が生き甲斐、といよりも『わわっ、これだ!』という算命学なるものに出会った時のことを振り返ると
不調
それも
最高潮に不調
つまり
絶不調
の時だったのですよ。
絶不調の極みも極み、そこで出会いましたからね。
つまり陽転の最中って別に『自分が心地いいと幸せを感じている時』とは限らない。
これ以外と盲点ではありませんか?
人生で宝物に出会う時は映画のワンシーンのようにキラキラ素敵なシチュエーションではないこともある。おおあり。
ってここまで書いて思い出した。
以前次元が上昇する時のことを書きましたが
そうだそうだ、ここでも
これはある意味がむしゃらな時期で、明日の見通しも立たず『人事を尽くして天命を待つ』しかないような状態でこそ本格的に稼働するもの。
なのでたとえちゃんと次元上昇気流に乗っていたとしても、本人は毎日必死過ぎてそんな気配を感じ取る余裕がない。逆にそんなこと考えたり感じたりしているようでは、その段階での次元上昇は皆無なのです。
そして自己エネルギーを最大限燃焼する段階なので、本人にとっては余裕も自由もなく『苦』あるのみ。
って書いてたわ~!自分でも忘れてたけど。
なので皆様も今『どんぞこや~(泣』となっているかも知れませんが、次の瞬間には人生で発掘すべきお宝に出会うやもしれません。それもそんなこと1㎜も考えていない時に不意にね。
だから諦めずにとりあえず生きとこ。
本日もお読みいただきありがとうございました。
これ食うて茶のめ。
仙厓義梵 1750-1837 『一円相画賛』
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