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相変わらずプロコ漬けなのですが、4番3楽章いいのよー!好き好き大好き。
ホント最高。
失敗を恐れてなかなか一歩を踏み出せないことってある。
けれどもこの世の中には
多くの人が “失敗” というシールを貼り付ける事象
があるだけ。
そのシールに殆どの人は拘泥してしまう。たかがシールなのに。
現実世界は人の総意で動くものなのでもちろんそういったシールは無視できない。
たかがシールだなんて、そりゃあ綺麗ごとだよというのも分かる。
でもなあ。
やはりどう考えても
〇〇という出来事がありました
それだけのこと。
そこにその他大勢がどんなシールを貼りますか?を自分の人生の中心に据えてしまうと、自分が見えなくなってしまう。自分の本心が。
自分はそれをしたかったの?
したいの?
本当はどう思ってる?
という一番大事な部分が。
自分で自分を無視してしまう。
たかがシールごときを当然のごとく神座に上げてしまうから。
本当はこの世界には失敗なんてない、というのが真実。
もし仮にあるとしたら、それは “失敗” シールを恐れて何もできないこと。
人生の終わりに
私?
ええ、私は失敗なんてしませんでしたよ!
(でもしたいことに全然チャレンジもしませんでしたけれど)
なんてことになったらそれこそ目も当てられない。
チャレンジするために生まれてきたのに
経験こそ命なこの世での一生なのに
いわゆる失敗なる経験すらできなかったって
今まで何やってたの!?
となる。
その時に後悔しても時すでに遅し。
Aという出来事が起こりました
Bという出来事が起こりました
Cという出来事が起こりました
ただそれだけ。
そこに自分以外の誰かがどんなシールを貼るかなんてどうでもいいじゃない。
自分の気持ちを大切に。
そして経験を厭わないこと。
シールなんて目に入らないくらい自分の心に集中して、経験に夢中になればいい。
それを積み重ねて初めて『自分の人生を自分で生きている』を実感できる。
本日もお読みいただきありがとうございました。
高畠華宵 願ひ 1925年 (大正14)
コメント
佳代さん、いつも心に刺さる言葉をありがとうございます。昨年も今年も、来日の鑑定を真剣に検討したものの残念ながら、お会いするに至りませんでした。次こそはと諦めてはいませんが。あと、ご多忙であるとは思いますが、メール鑑定とか叶いませんか?何ヶ月かかってもいいです。当方が、鑑定時間が日本時間では都合がつかない事、書面に残しておきたい事が理由です。ご検討いただけたらなぁと思い失礼ながらお尋ねしました。