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本当の自分をハッキリさせることと“好き”の関係(1)

 

 

 

 灼熱のイスキア島

 

 

 

随分前に記事に書いた気もするのですが 

中学生の頃、面白くない授業中にボンヤリ考え事をしていて

 

「 人はああでなければならない、こうしなければ社会で生きていけない云々大人は言う。

実際に大人社会で大人やってる人がいうんだからまぁ一理あるのかも知れん。

しかし自分の本質的なところを押し潰して

“ 皆と仲良く~ ” とか

“ 和を乱さず~ ” とか

“ 協調性・規則規律云々~ ”

とか言ってる本人たちは、実際にそれを全部取っ払って自分そのままで生きてみたことはあるんだろうか?実際やってみた上で自分の経験として彼らは話してるのか?いや、絶対にやってみたことないでしょ?

果たして全ての人がその人の本質丸出し100%で生きたら、この社会はどうなるんだろうか?

 

 

 

と思った瞬間にあっち側に繋がったんです ( 注:授業中 笑 )。

 

 

 

その時見えたのは、二次元的に説明すると

 

それぞれの人はどれ一つとっても同じ形がない、形状的にバラバラのパズルのピースみたいなもので、皆が自分そのままで生きると世界はピタッ!っと完璧にしっくりくる。

 

どの人も適材適所に在れて、自分を抑えることなく無理なく自然に当然のごとく周りとピタッと当てはまって、完璧に綺麗な平面になる。

どこにも余った部分や足りない部分、ぶつかり合ったり苦しい不自然なところがない。

 

 

そりゃそうだ。

 

神様は人間を “ 誰もが苦労しなければ全体としての調和を保てませーん ” みたいな 不良品 として創造しただろうか?

いやいや、まさか。

神様はそんな馬鹿でも不器用でもない。

 

 

完璧に仕上げてあるよ!

 

 

というようなことが、一瞬で流れ込んできました。

実際のところは平面じゃなくて三次元パズルでもっと複雑、でも完全に誰もがぴったり収まる。

もっと本当のところは3次元どころか4次元とかその上、3次元世界で生きてる私たちには想像しにくい次元において完璧にできてるのでしょう。

 

 

明日に  つづく

 

 

 

 

 

 下矢印 応援ありがとうございます 爆笑 ラブラブ

 

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