ああ~美しい~手が美しい~!!
古代東洋人は自然界のあらゆる法則そのものが神であり、神の姿であり、神の行為だと断言している。
人間ですら自然界に存在するものである以上、存在すること自体自然の法則であると捉えた。
目の前に広がる山も川も、時には自分の親、妻子、兄弟すらも神の窓口であり、神が彼ら・それらを通して人間に何かを告げてくれるものだと考えているわけです。
この考えが根底にあるからこそ陰陽説、五行説、十干、十二支といったものを神の窓口として分類し作成し得たのです。(原典より)
この感覚は算命学を学んだからではなく、私は小さい頃からある。ずっとある。今思うと特に一人で生きるようになってからこの感覚が強く鋭くなったかな。
だからといって別に普段から目に入るもの、耳に聞こえてくるもの全てがありがたいご神託でございます!みたいな話ではない。もちろんそうじゃない。
ただ、自分にその時に必要なヒントやメッセージが今あっち側の世界から送られてきたぞと気づく能力が上がった。ぼけっとただ流れるTVを眺めていても、その瞬間にはその言葉が3D画像のようにこちら側に飛び出て、明らかにそれ以外のあらゆるものとは違った質感と熱量でこちらに飛び込んでくる。それはもう
これは無視しちゃいけないやつだ
と思わざるを得ないほどの分かりやすいアピールで。
そんなことはしかししょっちゅうあるわけではない。いや、わりと細かいことであれば気を付ければあれもこれも拾えるのかも知れないけれど、恐らくそういう小さい助けは今私が必要としていないのでキャッチしていないのだと思う。
ただ自分では気付かない人生の分岐点となりうる大きなヒント、正確には
チーム佳代からの指令
的なものは見逃し得ないほどのはっきりした形で(いや、目には見えないのだけれども)飛び込んでくるので分かる。
チーム佳代についてはこちらをご参照のこと:
それはしょっちゅうはない。
でも大変久々に、ここ数か月で2回あった。まさかそんなこと自分でも想像もしていなかったような方向への示唆であり、お勧めであり、ヒント。
それは強制ではない。私の人生なので私が自由に決断を下すという前提で
これ。
と現れてくる。一つは単語だった。漢字でたった二文字の単語のみ。
チーム佳代からのアドバイスということはそれは正しいということであり、従わざるを得ない、従わないと勿体ないことでもあると自分で分かっている。なので私にとってはほぼ指令のようなもの。
そういったことは別に私だけに特権が与えられた何某かではなく、どんな人にも常にあちら側からどうにか大事なことに気付いてもらおうとあの手この手でメッセージが送られているものなのです。それはもう様々な形で。
それは映画の中の台詞かも知れない。ふと聞こえてくるラジオから流れる歌の一節かも知れない。全くやる気なく仕方なく受けたテストの解答の一つかもしれない。本当はどんな人にも平等にそれをキャッチするチャンスはある。でも殆どは気のせいで済ませてしまって、無視して、なかったことにしてしまう。
そんな感覚的なこと。
そんなあやふやなことなんて。
もっと目に見える、手に取って触れる、数値に直された、どこかの偉い先生や研究所のナンタラで保障された事実しか信用しませんよ。
そういう分野ももちろんとても有用で大切だ。間違いない。この世で生きていく上で決して無視できない、すべきでない分野。
ただそこに限定してしまうのは勿体ないのです。
個人にとって本当に大切なこと、本当に必要なヒントはそういった『この世的な信頼に足る様相を呈する情報』の隙間を縫ってその人にしか分からない不思議な形で訪れる。
この世の全てに目も耳も心も開いておいた方がいい。自分で制限を掛けずに。壁を作らずに。
あらゆる存在や現象があなたの人生の大きなヒントや助けになるから。
本日もお読みいただきありがとうございました。
『 この酒にも神様からのメッセージが・・』『 黙らっしゃい(バコン!)』
Alcoholism, France, 15th century
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