休みのたびごとに旅行に行く我が家族。本来なら私が音頭を取って
次は〇〇に行きまーす
状態で休みに入る時には予定が決まっているにもかかわらず、今回は珍しくどーも動きたくない私。そして夏休み始まって1週間経った今現在も伸ばし延ばしで何も決まっていません。
そしてそれが良かった!
先週次男スタートで風邪の高熱バトンリレー。
これは全員にうつって最後に私に来るやつやん・・
と思っていたら私が2番目でずっと喉が痛いまま、末っ子は高熱で吐き散らし、長男は外耳炎付き。
私のこういう体感、侮れないわ~。無視しちゃダメなやつだと再確認です。
さて、その末っ子。
日本語ほぼ出来ない末っ子が頑張って書いた鬼滅ロゴ。無限列車編の『編』が怪しい、しかし可愛い(笑)
もうしばらく前になるのですが、これは末っ子が私の誕生日にくれた誕生日カード。
これがね、私はびっくりして感動したのですがこんな風に書かれている部分があります。
僕たちをこんなにも愛情いっぱいで育ててくれてありがとう。
この家族の一員であれるのは本当に嬉しい。
死んだ後人は全ての記憶をなくすらしいけれど、僕は本当はこんな素敵な家族と、そこで皆で経験したことを忘れてしまいたくないんだ。(超意訳)
今でも嬉しい(笑)
すごいよ、私は子供の頃こんなこと思ったこと1度もない。如何にこの家庭という地獄から抜け出すか?しか考えてなかった。だからこそ子供にこういう風に伝えられるのは驚きであり喜びなのです。
いや分かる、分かるよ。
子供は家庭内では親に生殺与奪の権を全面的に掌握されていて、仮に本心でなくとも親の顔色を窺って親の喜びそうな言動を取る。誰よりもよく知ってるよ、私はそれを。だから私の誕生日ということも相俟ってのリップサービスで頑張って書いてくれたのかも知れませんよね。
当時はあんなこと書いてたけど、本当は・・・みたいなベクトルの方向真反対の話が何十年後に本人の口から語られることもあるかも知れない。そうなったらその時私は真正面から話を聞いて受け止めて、心底謝罪するのだと思う。
しかし。
唐突に死んだ後の世界の話が出てくるところが私の血を引いてるな・・・という感じですよね。
いや、私はこのサイトにはそんな話をちょくちょく書いていますが、子供たちには全然していませんよ。
子供の頃実家で幽霊に後ろからどつかれた、くらいは話したけど。笑
うちの子たちはそういう世界に縁がなさそうですし、そういう話もまあしません。けれどもこの末っ子は一番私に感覚が近いところがあるなあと時々思うことがあります。中身が私に一番似ているのがこの子。
貰った手紙はまるで表彰状のようだなと思ったので、表彰状のように額に入れて飾ってみた。
まあそれはともかく。
微に入り細を穿って子供たちにあらゆることをスーパーレベルで提供できる家庭環境ではないけれど、親・家族からの愛情タンクは溢れるほど満タンでもうお腹一杯!状態で子供は社会に出したいと常々思っています。
それ以上に大事なことなんてある??
〇〇を身につけるといったスキル的なことも大事だけれど、やはりそれは表皮に近いんだ。
人間の底力の源になる『成長期に必要な人から受ける愛(※)』が十分ないと、どれだけ優秀で表皮ぴかぴかに分厚くとも人は途中で原動力が枯渇する。そこが枯渇すると人はなりふり構わず卑怯な手で誰かから、特に女・子供や部下など身近な弱い存在から力づくで奪おうとする醜い人間になり下がる。
でも表面的にどれだけ苦しい思いをしようとも、『自分は存在する価値も愛される価値もある』と心の底で自己肯定感100%であれば、理不尽で卑怯な手を使わずともいくらでも自分の人生を挽回できる。少なくともそこに何度もチャレンジできる。
私たち夫婦は親兄弟・親族も太く、繋がりも良好で盤石の態勢で前進しております!とは程遠い進み方ですし、命式を見ても何だか心もとないのですが(笑)子供たちが巣立つまで十分なことをしてやれますように!と、結構それだけで生きています。正直大丈夫かな・・と思うことも多々ありますが、まあ出来ることを頑張ろう。
本日もお読みいただきありがとうございました。
(※)これは血縁関係者じゃなくでもいいのです。学校の先生でも近所のおばさんでも誰でもいい。とにかくちゃんと自分を見てくれて、まともに受け止めてくれて、ちゃんと考えてくれて、一定期間愛を与えてくれる人がいればそれはその人にとって必ず力になる。
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