どうしても分かり合えない人間の組み合わせってある。
それが家族内で起こった場合。
なんで家族やのに分かり合えへんねん。
話し合えば分かるやろ?
互いに心開いて歩み寄れば、血が繋がってるんやしそのうち理解し合えるって。
と思いがちですよね。
でもやっぱりどう頑張っても分からない、分かってもらえない間柄ってある。
そりゃそうですよ、地球の人口って78,88億人いるらしいですが、てことは78,88億通りの人間のカラーや世界観があるということ。それを
頑張れば78,88(-1)億人全員のこと分かるやろ、分からんってことは努力が足りんのや
って
思い上がりも甚だしい。
互いに分かり合おうと一生懸命努力したり歩み寄ったりすることはとても尊い。けれども
この世界にはどうしても自分には理解できない人もいる
ということはどう頑張ってもらっても自分のことを理解できない人もいるのだ
それは自分やその人の努力が足りないという理由ではなく、そのような組み合わせなのだ
と知り、理解することはとてもとても大切。
そういう組み合わせが家族内で発生したら。
血が繋がってるんだから!家族なんだから!話せば分かるはず!!
と思い込んでいると
こちらの考えも気持ちも話せば分かる、きっと分かってくれる
↓
なにぃ、分からないだと?こちらはここまで懇切丁寧に説明してやってるというのに!?
↓
血が繋がってるのに、そして最大限の説明を受けているのに分からないなんて、お前が悪い!
↓
分からなくても形だけでも分かったフリをしろ、それがお前の役割だろ
みたいなとんでもない流れに行きかねない。
特に家族内で力関係がある場合、力の強いものが弱いものに対して仲良しごっこを強制するような愚かなことになりかねない。それでは手足をばたつかせイヤイヤしながら我が儘を喚き散らし、お母さんにヨシヨシしてもらいたい幼児と何も変わらない。
そうじゃない。
家族内で分かり合えない組み合わせが存在したなら、それは家族という人生で最も密な人間関係において
この世界にはどうしても理解できない人もいる
ということはどう頑張ってもらっても自分のことを理解できない人もいるのだ
それは自分やその人の努力が足りないという理由ではなく、単にそのような組み合わせが存在するということなのだ
をとことん学びましょうということ。
どうしても分かり合えない人に関しては
『私には理解できないけれどこういう人も存在するのだな』と考え
互いに相手の在り方を尊重し、一緒に居るのが苦しければ各々がベストな過ごし方ができるようちょっと距離を置いて、それぞれが生きやすい道を選ぶのもありだよね
を今世でしっかり体験しようということ。
分かり合うための努力も大事だけれど、分かり合えない人も存在する、でもそういう存在も尊重できれば世界の争いはもっと減るのでしょうね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Marketplace in Gisors, 1891 by Camille Pissarro
コメント
本当にそう。その理解によって愛が生れるんですよね。あらゆる差別がいい例ですよ。自分と違うからって、それがいけないって事はないんだって、早いうちに学べなかった人たちが、ああなんだろうなって私は思います。器を大きく持つべきですよね、何事も。笑
はるみさん、お久しぶりです。
なかなか違いをそのまま認められる人っていないですよね、どの国でもね・・・
何でそんなしょうもないところにこだわってんねん?みたいな人多すぎて辟易しております、私の居るところでも。