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「芸は身を助ける」の話

 

ものすごい久しぶりにコンサートに行ってきました。私のブログではすっかりお馴染みのカナダ人ピアニスト、ヤン・リシエツキ氏。ショパンのみのプログラムでした。

 

 

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Ein Beitrag geteilt von 佳代(算命学) (@kayo_ruhe)

( ご本人が律義に「いいね」して下さっていて嬉しい・笑)

 

いい演奏を聴くと生き返ります。普段子供の喧騒に塗れて隠れている自分にパッと戻れるのです。私にはこういう空間とこういう世界、絶対必要だなあ。

 

ところで芸は身を助けると言いますが、あれって「 なんか技能を身につけてれば生活に困った時にお金になるよ 」的な解釈をされがちだと思います。もちろんそれもあるよね。

でも私みたいに(全然裕福ではないが)特別お金に困っているわけではないけれど、音楽に人生が丸ごと救われているような場合にも当てはまると思うのです。

 

また音楽は国境を超えると言われますが、それって「 基本、人は国境を境に言葉が通じなくなる、でも互いに言葉が通じなくても音楽の部分で通じるってことあるよね 」という意味ですよね。もちろんそれはある。

でもよく思うのは、私はクラシック音楽が専門ですが例えばそのクラシック音楽。これ1つで言語みたいなものです。母国語は生まれた時から見聞きして使い、学んでいくことで自分の言葉になる。血となり肉となって自分の一部になる。

クラシック音楽も全く同じで、小さい時から慣れ親しむことで身に付くし、付き合いが長くなればなるほどどこまでも深く深く理解できる。

 

そしてこうなってくると今度は国境を超えるどころか、この世とあの世の境界線もやすやすと超える領域に入ってきます。というより超えたところからが本番。あっち側から音に乗せて情報が流れ込んでくる。

そしてそこまで行くとその情報を受け取る能力はもう「芸」の一つであり、生きるということを考える時その情報に助けられる部分がものすごく大きいのです。その情報は美しく柔らかく、無駄がなく、濃く凝縮していてしかも上質。そして私に必要なものだけがピンポイントで入って来る。言葉から得られる情報とは全く異なるのです。

 

そして私の身に付いているその「芸」は身を助けるどころか、これがなかったら私はとっくに死んでたんじゃない?くらい私を見えない部分で力強く助けてくれています。そんなことをよく感じる今日この頃です。

 

 

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P.S

分かる人が殆どいなさそうな余談。

今回のプログラムはショパンのエチュード集でした。ほぼ丸ごとこのアルバム内容だったのです。

 

Chopin: Etudes
Chopin: Etudes

 

で、

これって(クラシックギターの)Villa Lobosのエチュード集の規模も難易度も遥かにゴツイ版やな

 

と思いながら聴いていました。

(要は素晴らしく美しいけれど完璧に弾くのは無茶苦茶大変ということ・笑)

 

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